2022年 1月の京都市電ロマンカレンダー | レールは、こころをつなぐ道。

「京都の市電 昭和を歩く」「京都市電が走った街 今昔」の著者、福田静二さんの協力を頂き、四季折々の京都の街と市電の風景の「京都市電ロマン カレンダー」をお届けしています。

 

学問の神様菅原道真公を祀る北野天満宮の縁日は毎月25日で「天神さん」と呼ばれ、中でも年初めの1月25日は「初天神」と呼ばれ多くの参詣客で賑わう。 左方向に北野天満宮、後方は比叡山。

簡単にカレンダーが作れるテンプレートはこちら  

 

ストリートビュー

 

 

北野天満宮への多くの参詣者が乗降したこの停留場だが、今出川通の千本今出川から北野の一つ先の北野紙屋川町の区間に市電が走り始めたのは1957(昭和32)年で、その翌年、北野まで来ていた京福電車北野線が白梅町まで撤退して今出川線が全通し、京都市電最後の開通区間となった。

1978年発行「さよなら京都市電」より 左は北野紙屋川町終点の市電と右奥は京福電車北野駅。

 

現在ののストリートビューでは右奥に北野駅があった面影は皆無

 

その廃止区間に乗車してみましょう!

京福電車(嵐電)の白梅町駅~北野駅間のデジタル仮想復元動画

 

 

では、今出川線開通までの参詣の足はと言うと…

1895(明治28)年日本最初の電気鉄道として開業した京都電気鉄道が1900(明治33)年には堀川中立売から西へ、北野天満宮一つ手前の下ノ森まで、更に1912(明治45)年には北野天満宮まで開業させていて多くの参詣客を運んでいた。

 

1918(大正7)年合併し引き継いだ京都市電は自社の車両(広軌)と車番の重複を避けるため狭軌車両にnarrowの頭文字をとって「N」を付したため、「N電」と呼ばれ、広軌化計画も有ったが、結局狭軌のまま1961(昭和36)年まで運転され注目を集めた。

北野線 1961(昭和36)年7月31日廃止

 

 

1953(昭和28)年都市計画図より

この東側の点線区間(カレンダー画像の奥方向)に今出川通が開通する以前、北野線の電車は北野天満宮の境内東側まで来て折り返していた。まだ嵐電北野駅が有る頃。

 

北野商店街HPギャラリー

 

今出川、白川、丸太町線 1976(昭和51)年3月31日廃止

 

 

 

 

*** 福田静二さんの著書 ***