2021/05/10 校長ライブ“My Story”より『招致業・講師業開始~大人の女子校誕生』
社長室の河股あさみです。
大人の女子校プレミアムグループの皆さんの特権!
毎週日曜21時~の校長ライブから内容をチラ見せしちゃいます!
【2012年 招致業が本格化した】
それまでコパンで講習をやっていた先生たち(ヨガ、ハンドメイドなど)が
「もっとやりたい!」「もっと売り上げをあげたい!」
「もっとこの活動をお仕事として、回数を増やしてみたい。それにはどうしたらいいか?」と
学びたいというママたちが増えた。
この声が集まってきた頃には2011年に東京に行っていて、その頃は
東京で学んだことをお土産話として先生たちにずっとしゃべっていた。
その話を聞くと「私もやってみたい、でも東京は行けない」となった。
2011年は、校長のお子さんは小2・小1・年中さん。
ほとんどのママさんたちが、同じくらいのこどもがいるか、もっと小さい。
お迎えに間に合うよう戻れるか?
滞在時間が短いのに、時間と交通費をかけて行くのがもったいない。
なかなか行けない。
じゃあ、呼んじゃえば?
コパンで開けばいいのかな?
「みんな聞きたい?」
「聞きたい!聞きたい!聞きたい~!!」
プロの先生を呼ぶという「招致業」がわかならかったので、
初招致は「岡崎さんの受講料はいらないですよ」という方式。
「12,000円の起業講座、5人集まったら行ってもいいですよ」という条件の初招致。
当時のコパンのイベントは500円(ワンコイン)。
すごいがんばっても2,000円だった。
12,000円の講座が5人集まるか…すごく心配だった。
コパンで講師してくれてた人に片っ端からメッセ送って、25人集まった!!
講座中に、コパンのコーヒーを1杯300円くらいで売るというのもやった!!笑
結果、満足度も高く、「またこういうのがあったらやってほしい」となる。
講座に来てくれた人が、あっちこっちでこんなの受けて、よかったと言ってくれた。
味を占めた。
最初に呼んだのは地元で有名だったママ起業家さん。
次が松原さん。
それまでコパンで講習をやっていた先生たち(ヨガ、ハンドメイドなど)が
「もっとやりたい!」「もっと売り上げをあげたい!」
「もっとこの活動をお仕事として、回数を増やしてみたい。それにはどうしたらいいか?」と
学びたいというママたちが増えた。
この声が集まってきた頃には2011年に東京に行っていて、その頃は
東京で学んだことをお土産話として先生たちにずっとしゃべっていた。
その話を聞くと「私もやってみたい、でも東京は行けない」となった。
2011年は、校長のお子さんは小2・小1・年中さん。
ほとんどのママさんたちが、同じくらいのこどもがいるか、もっと小さい。
お迎えに間に合うよう戻れるか?
滞在時間が短いのに、時間と交通費をかけて行くのがもったいない。
なかなか行けない。
じゃあ、呼んじゃえば?
コパンで開けばいいのかな?
「みんな聞きたい?」
「聞きたい!聞きたい!聞きたい~!!」
プロの先生を呼ぶという「招致業」がわかならかったので、
初招致は「岡崎さんの受講料はいらないですよ」という方式。
「12,000円の起業講座、5人集まったら行ってもいいですよ」という条件の初招致。
当時のコパンのイベントは500円(ワンコイン)。
すごいがんばっても2,000円だった。
12,000円の講座が5人集まるか…すごく心配だった。
コパンで講師してくれてた人に片っ端からメッセ送って、25人集まった!!
講座中に、コパンのコーヒーを1杯300円くらいで売るというのもやった!!笑
結果、満足度も高く、「またこういうのがあったらやってほしい」となる。
講座に来てくれた人が、あっちこっちでこんなの受けて、よかったと言ってくれた。
味を占めた。
最初に呼んだのは地元で有名だったママ起業家さん。
次が松原さん。
たまたま当時の松原さんのプロデューサーさんと話す機会が多く、プロデューサーさんのコンサルを受けたら
「じゃあ、松原さん呼んで!」となった。
何を呼ぶかは決まっていなくて、日程だけ決まって、内容は適当にお客さんを呼ぶことになっていた。
松原さんに習ってきたことを話していて、受けたいものの声を聴くと
午前「ラブ資産セミナー」と午後「ブロック解説セミナー」をお願いすることになった。
8,000円と15,000円のセミナーだったけど、これも25人ずつ集まった!
この日の帰り際に、松原さんに「今村愛子さんを茨城に呼んであげて」と言われた。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210428/10/otonanojoshiko/65/dd/j/o0960096014933262476.jpg?caw=800)
愛子さんの他にも、東京で会った時に受けが良さそうな人に
「茨城に来てもらえませんか?招致したいんですけど」と言いまくった。
2012年は、こどもが小3・小2・年長さんでした。
東京に学びに行く頻度は、月2~3回行っていた。
おばあちゃん、おじいちゃんに預かってもらっていた。
普段は、コパン2:30~3:00に終わる→迎えに行く→小学生お迎えするというスケジュール。
夏休みなどはコパンに連れて来ていた。
招致をし始めたから、客単価がぐんと上がって
「金の亡者になった」と噂になって言われた。
協力してくれる人がガラッと変わった。
スタッフの質も変わった。
招致業を増やしていった2012年、年間450万くらいの売上でした。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210428/13/otonanojoshiko/55/af/p/o0945063014933322704.png?caw=800)
2013年、自己プロデュースコースを受けた。年間の売上が800万になった。
※女子校で言う自分ブランディングコースです。詳細はコチラ!
2013年には、招致者として名が知れていた。
東京に行く回数が増えてきて、「岡崎さんに招致してもらいたい」という声もあった。
招致の講座も、朝・午後・夜の3回でやっていた。
すごく上手く行っていて天狗になっていた頃…
2013年の終わり頃に
「頭打ちだよ、松原さんのビジネスコース行きな」と、ある講師に言われた。
これが、ものすごい転機になった。
強みを使って数を打つのがビジネスコース。
朝が強いので、毎朝、朝活をやった。
朝活に来てくれた人に、その人が今よりも良くなるアドバイスをしましょうという宿題が出た。
たくさんの人が朝活に来てくれた。
これが、ものすごい転機になった。
強みを使って数を打つのがビジネスコース。
朝が強いので、毎朝、朝活をやった。
朝活に来てくれた人に、その人が今よりも良くなるアドバイスをしましょうという宿題が出た。
たくさんの人が朝活に来てくれた。
最大16回来てくれた人もいた。
朝活が話題になって、栃木・群馬・静岡から「来てくれませんか?」と声がかかった。
全部行った。
最終的に朝活最後の日は名古屋。
その名古屋で、
「講師業を始めなさい。
講義の内容は、お客さんが受けたいと思うものをやること」と言われた。
講義の内容は、お客さんが受けたいと思うものをやること」と言われた。
![image](https://stat.ameba.jp/user_images/20210406/12/otonanojoshiko/c7/4e/j/o0800080014922128489.jpg?caw=800)
ビジネスコースがきっかけで
大阪・名古屋・仙台・京都・神戸・横浜…講師として呼ばれるようになった。
ビジネスコースがなかったら、講師業はやってなかったかな?
この頃は、愛子さんと前校長とは仲良しになっていた。
全国に呼ばれるのが、月1だったのが月2回くらいになった。
基本泊まりじゃなくて、日帰りで行っていた。
始発で出て終電で帰ってくるみたいな感じ。
2014年は、こどもたちが小5・小4・小2
むちゃくちゃ大変でした…
それまで茨城県ひたちなか市だけでやっていたし、東京に行くのも学びに行く、イベントくらい。
北海道・大阪・広島などあちこち行くようになって、旦那さんは「なんじゃこりゃ?どうしたの?」という感じ。
家のことをおざなりにして、帰りが遅くなって、帰ってくるのが夜。
次の日は疲れて寝込んでいた。
飛行機で移動、新幹線で移動に慣れていなくて、次の日寝込んでしまっていた。
帯状疱疹になった時は、すごい怒られた。
「そんなになるまで仕事やってるなら辞めちまえー!」と怒られた。
長男にも泣かれた。長女に泣かれた。
次の日は疲れて寝込んでいた。
飛行機で移動、新幹線で移動に慣れていなくて、次の日寝込んでしまっていた。
帯状疱疹になった時は、すごい怒られた。
「そんなになるまで仕事やってるなら辞めちまえー!」と怒られた。
長男にも泣かれた。長女に泣かれた。
次女は、学校で居眠りしちゃって、「ちゃんと寝かしてください」と学校から電話かかってきた。
2014年は、外の人たちに何か言われるはなくなったけど、家の中が大変だった。
なんで辞めなかったのか・・・?
辞めなかったというか、やめられなかった。
招致って2~3ヶ月前に決まる。
怒られた時には、招致のイベントがいっぱい入っていて、断れなかった。
「こっちの事情だけで断ると、相手に迷惑がかかるから
今、入ってるものだけやらせてください。」とお願いした。
今入ってるものだけ~と言って、ずるずると辞めなかった。
そのうち、旦那さん怒ったことを忘れたのか、何も言わなくなった。
2015年の売り上げは、650万~700万。
自分が講師業をやると利益率が上がった。
2015年に、前の校長と愛子さんとイベントをやっていた。
このイベントで、70人、100人と集客していた。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210331/15/otonanojoshiko/20/43/j/o0640042714918957078.jpg?caw=800)
そうこうしているうちに、愛子さんと前校長が、大人の女子校を立ち上げるとなった。
「がんばってね~」と応援しつつ見ていただけだった。
最初は、月に1回の起業勉強会+ランチ交流会のみ。
あとはFacebookでアナウンスしていくよ~というスタイル。
でも、話題になって「大人の女子校入りたい!」と言う人が多くなり、どんどん人気になった。
どんどんメンバーが入るようになって、内部の事務が回らなくなって
2014年は、外の人たちに何か言われるはなくなったけど、家の中が大変だった。
なんで辞めなかったのか・・・?
辞めなかったというか、やめられなかった。
招致って2~3ヶ月前に決まる。
怒られた時には、招致のイベントがいっぱい入っていて、断れなかった。
「こっちの事情だけで断ると、相手に迷惑がかかるから
今、入ってるものだけやらせてください。」とお願いした。
今入ってるものだけ~と言って、ずるずると辞めなかった。
そのうち、旦那さん怒ったことを忘れたのか、何も言わなくなった。
2015年の売り上げは、650万~700万。
自分が講師業をやると利益率が上がった。
2015年に、前の校長と愛子さんとイベントをやっていた。
このイベントで、70人、100人と集客していた。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210331/15/otonanojoshiko/20/43/j/o0640042714918957078.jpg?caw=800)
そうこうしているうちに、愛子さんと前校長が、大人の女子校を立ち上げるとなった。
「がんばってね~」と応援しつつ見ていただけだった。
最初は、月に1回の起業勉強会+ランチ交流会のみ。
あとはFacebookでアナウンスしていくよ~というスタイル。
でも、話題になって「大人の女子校入りたい!」と言う人が多くなり、どんどん人気になった。
どんどんメンバーが入るようになって、内部の事務が回らなくなって
事務局に入ってと言われた。
「今日から大人の女子校スタートです!」の日には行かなかった。
2期生として参加した。
大人の女子校は、7月から始まって、8月に大人の女子校の事務局の統括になった。
8月のエスモーズの事務統括にもなった。
コパン自体は、ボランティアベースに戻してスタッフにお任せしていた。
女子校の事務局とエスモーズが大変で、招致や講師は縮小して辞めていった。
「今日から大人の女子校スタートです!」の日には行かなかった。
2期生として参加した。
大人の女子校は、7月から始まって、8月に大人の女子校の事務局の統括になった。
8月のエスモーズの事務統括にもなった。
コパン自体は、ボランティアベースに戻してスタッフにお任せしていた。
女子校の事務局とエスモーズが大変で、招致や講師は縮小して辞めていった。
前半は招致の売上があったけど、後半はほとんどない。
売上は、500万くらいまで下がりました。
売上は、500万くらいまで下がりました。
岡崎校長の『My Story』 第3章、今晩はここまで。
ライブで聞きたい方は、大人の女子校Facebookプレミアグループからどうぞ!
※大人の女子校Facebookプレミアグループは、セミナーやコースを受講中の方限定のグループです。
来週は、5/23(日)『大人の女子校の事務局スタッフ~校長になる』 です!
お楽しみに~~♪
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~5月の校長ライブ全体のスケジュール~
①5/2(日)『専業主婦~子育てカフェコパン立ち上げ』
②5/9(日)『コパン~東京へビジネスを学びに行く』
③5/16(日)『招致業・講師業開始~大人の女子校誕生』
④5/23(日)『大人の女子校の事務局スタッフ~校長になる』
⑤5/30(日)『大人の女子校校長~社長就任、そして、今後。』
専業主婦から代表取締役社長になるまでのストーリーを5回に分けて話します!
こちらも毎回チラ見せしますので、社長室レポートをお楽しみに♪
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大人の女子校は
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■毎月の固定会費はナシ
■目標に合わせた段階別クラス編成です。
■誰とも比べない本来のアナタを大切にしながら
仕事を含めたライフスタイルのサポートを行っています。