日本を破滅に導くただ(無料)がよいという考え ただってそんなにいいことなんですか? | 母親ひとり親の医療の学校の受験・修学手助けします

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小倉昌男という人がいます。
以前NHKの「福祉の世界に新たな風を! 小倉昌男」という番組で取り上げられました。

『障害者の自立を助けたいと、福祉の世界に異業種から一石を投じた人がいる。宅配便を生み出した後、経営から退いた小倉昌男だ。
当時の障害者雇用のあり方に疑問を持った小倉は、これまでのビジネス経験を生かし、共同作業所など福祉の現場に、“経営”の考え方を広めようとする。
「金もうけの企業人が乗り込んできた」「福祉は経営と違う」という批判を受けるなか、小倉はどのように人々の意識を変えていったのか、その知恵に迫る。』(web siteより)
 
小倉さんはこれまでの日本の福祉が日本式無償ボランティアの考えで行われていたことが
かえって福祉にかかわる人たちを縛っていることに気づきました。
 
人は生きるために金を必要とします。
その割には「金もうけ」と言って金を稼ぐことを見下すことで
自分のプライドを守ろうとする人が多すぎます。
 
わたしは常々「ただより高いものはない」と言っています。
一見、無料は良いものと感じられます。
 
でも
費用がかかる限りは
税金、見知らぬ内の自分での切り売り、知らぬ誰かからの搾取など・・・
どこからか金が出ているのです。
 
障害者・生活保護者の援助はほとんど税金から行われています。
加えて、善意の施し?からでしょうか。
 
施しは多くの場合後ろめたさやプライドを失うということを
その代償として。
たとえ、権利として認められていることであっても。
 
人はたとえ善意からであっても
一方的な施しは
その人を無力な人にしたててしまうのです。
 
互いに何かを交換し合うことで人は対等になれます。
 
でも
今の日本では施す側は施される側から何かを得ることはできても
(たとえそれが勘違いであったとしても)
施される側は施す側に与えるという実感をもつことはできません。
 
だから
善意を与えるのではなく
対等の人として交換し合うことが必要です。
 
その時、一番単純で効果的なのは
働きに対する代価としての金・モノです。
そのことでその人の「尊さ」は守られます。
その対価にふさわしいだけの金を支払うための仕組みをつくることを小倉さんは主張したわけです。
 
わたしはどんな立場であっても
「“できること”を取り上げ」たくない。
「なにもできない、無力な人」でいてほしくないのです。
 
わたしができるのは「手助け」だけです。
といよりも手助けしかできません。
やるのはあなたです。
 
わたしが求めることは
「対等」であること
「施さない」こと。
 
それがベストの関係だと考えるからです。
何よりも
これから立ち塞がるだろう困難に出会っても
あなたに自分の両足でしっかり歩いてもらいたいからです。