虐待を減らすために 今、大人ができること 正しさを守ることよりも子どもを守る | 母親ひとり親の医療の学校の受験・修学手助けします

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前回
「親自身、自分が虐待をしているかどうか分からない 児童虐待のとらえ方・対応のむずかしさ」の続きです。

確かに
虐待本質論(前回で説明済)でいう
虐待とは突き詰めれば「相手への支配」だ。
「人格否定」が究極の虐待である。
という考え方は筋は通っています。
でも、これでは抽象的すぎます。
 
それで行動から考えるとすると
どこの国でもその国なりに文化により虐待事実の判断が違ってしまうのです。
日本の場合
欧米のような幼児のころから親と寝室を別にする夫婦関係優先の子育ては「ネグレクト」のような感想をもつでしょう。

それに対し
大多数の国では子どもが幼児でも親子が一緒に入浴することは虐待に相当すると考えています。
 
ですから
どこの国のやり方が正しくてどの国が間違っていると判断するのは非常にむずかしいことなのです。
自分たちの社会・習慣の中で解決するしかないのです。
 
その上で日本での早急の問題点は
どうやって本人(子ども)の利益を守るのではなく
正しさや間違わないことの方が優先されていることです。
 
意外にも、日本の児童保護担当者の権限は世界でも類を見ないほど強いものなのです。
担当者の専決で子どもの扱いを決めることができます。
すべての関係者を自分の指揮下に置くとこができるということです。
(制度のことといえば、驚いたことに日本の父親の育休制度は世界でもレベルが高いものです。育休が取れればですが。法律規則上は日本の福祉は決して劣っていないのです)
 
でも
強権、全権を預けられた人は孤独です。
相談しようともサポートされても
判断し行動するのはその人です。
ですから
自分が決めたくないと思うことは自然なのです。
 
避けてきた結果
日本は「国家レベルで児童虐待している」と批判されるほど
子供たちを守り、そして、その母親(父親)たちをサポートすることができていません。
 
すでに欧米諸国では緊急保護の時点を除けば
虐待児を施設で預かる制度は廃止され、里親預かりが中心になっています。
 
ところが
日本では未だに保護施設収容が中心です。
しかも
施設での虐待児の保護の仕方が虐待だと非難されています。
集団で暮らしているため規則の縛りが虐待に比べられるほどきついのです。
小学校高学年以上になると虐待から逃れるために自分から保護を求める子もいますが
施設での保護よりも虐待親と暮らす方がましだと出て行く子も多いと聞きます。

※「虐待児 厳しく管理…私語禁止・通学も不可 保護所、定員超過で」
※「虐待児保護所 けが続発…けんか・自傷 4年312件」
(「読売新聞」)
(このことは別の機会に取り上げます)
 
親に対して
かつて、萩生田文部科学大臣は、文科省のHPでこう訴えました。
「大切なお子さまの健やかな成長のために、どうか虐待はしないと誓ってください」
「子育てに悩みや不安があるときは、身近な人に相談したり、自治体の相談窓口を頼ったりしてください」と。
 
でも
政治家も官僚も
相談できる身近な人がいない
自治体に相談にいく時間も余裕もない
そういった人たちのことを一度でも想像したことがあるのでしょうか。
 
わたしも受験レベルが下の方の職場で長年仕事をしてきました。
親でもなければ
児童保護の担当者でもありません。
それにもかかわらず
大変なところで生きている子たちはよく大変なことを起こしたり、巻き込まれたりします。
世の中、「金持ち喧嘩せず」といいますが
心穏やかではない子たちはトラブル続きです。
わたしも職権上、いろいろなことがあり、いろいろなことをやりましたが。
 
はっきり言えるのは
たとえ不都合になっている仕組みが改善されたとしても
当事者は最善を考えながら悩むしかないということです。
 
子どもの虐待防止に特効薬はありません。
わたしは
「人は善を行おうとしても必ずしも善を行うことは出来ない。
悪を行おうとしても必ずしも悪を行うことも出来ない存在」だと考えています。
 
人は間違い、我を張りたくるのもの
同時にからっきし意気地がないのもの
だから
いつでも頭の片隅で自分が間違うものだと意識しなからも
自分が良しとする行動をするしかありません。
 
そのためには
いつもで自分の判断の基準となるものを作るために
絶えず自分を見つめる
新しい知識や世の流れに注意を払っていくことが必要です。