親自身、自分が虐待をしているかどうか分からない 児童虐待のとらえ方・対応のむずかしさ | 母親ひとり親の医療の学校の受験・修学手助けします

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◎故意の虐待と気づかない虐待

子どもの虐待はいけないと言うことは簡単です。
誰の目で見ても分かるような悪意からくるものであればはっきりします。
 
でも
実際には気づかない虐待の方が多いのです。
親が善意からであってもそれが虐待になっていることが多いのです。
親自身がチェック表でチェックでもしないとわからない。
チェック表でも実際にチェックできるか疑問がある。
そこが虐待のむずかしさです。
 
◎理屈上の虐待と結果としての虐待
親だって自分が虐待しているかどうか分からないのは
それは実際の人の人生は結果としてしか評価できないからです。
人は矛盾の中で生きているものなので
正しい行為が正しい結果を生むとは限りません。
 
たとえ
プロセスで正しさを守ったとしても
それが結果として人を不幸にするならば意味がありません。
 
◎虐待の定義
欧米社会の考え方でははっきりとした虐待のガイドラインがあります。
【定義A】
・身体的虐待
・性的虐待
・ネグレクト
・心理的虐待
 
これは行動からの判断基準ということができます。
 
しかし
行動からすべての虐待を判別することのむずかしさから考えると
「虐待本質論」とでもいうべき考え方があります。
虐待の本質は相手への「支配」だという考え方です。
確かに「人格否定」は究極の虐待かもしれません。
 
【定義B】
暴力的であっても、優しい言い方であっても
思い通りに他者を動かすために何らかの形で恐怖観を植え付け、従わせようとするもの。
・相手を思い通りに動かそうという意思を持ち
・言葉や行為、または態度で恐怖感を感じさせ
・他の選択肢を選ばせない(意のままに操作しようとする)
 
このような行為が日常的に行われていれば、虐待と同じとするのです。
善意?からの虐待(本人のためにやっている)で一番多いケースです。
 
でも
小さな子どもを相手にするときには
【定義B】ではどこまで本人の意志か強制かという判断では
「必要な強制」と「虐待」の間はむずかしい一線となります。
 
◎虐待と文化のかかわり
実際、プロを目指した幼児教育は虐待か虐待すれすれのことが多いのです。
ピアニストの青柳いづみこさんの話ではたいてのコンサートピアニストは幼児音楽教育の結果、心を病むと言っています。
間違わないための訓練は人にとって過酷なものです。
子どもならなおさらなことです。
種目によっては技のために体の変形を必要とするものもあります。
 
幼児のころから厳しい心身の訓練、体の変形を必要とする訓練は
子どもの自然な(標準的な)発達から考えると
虐待ということになります。
 
子どもの虐待にうるさい欧米でも
子どもの身体の、精神の強い負担を与えることが分かっていても
芸術のため、才能のためといえば
実際に虐待を許しているわけです。
 
日本と欧米の虐待に対する考え方は場合によって正反対の事さえあります。
たとえば
日本では親が育てるのが一番いい(特に母親が)に決まっているという考え(信仰)があります。
欧米では最悪の親よりもよい他人が育てる方が子どもにとっていいと考えるようです。
 
そのため
外国(欧米)人と日本人の夫婦が離婚するときに
日本人の母親は自分が育てる方が絶対子どものためになるという考えが強く
「子どもの連れ去り」という国際紛争さえ起っています。
日本人親の子ども連れ去りに EU議会が日本政府に禁止要請 また外圧が日本を変えるのでしょうか?

米国・西欧の社会では離婚という親たちの都合で
両親共々の愛情を子どもが受ける機会を失うことも虐待と考えられているのかもしれません。