1日たった3.5時間しか勉強しない大学生 小学生以下なのは本当か? | 母親ひとり親の医療の学校の受験・修学手助けします

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東京大学「大学経営・政策研究センター(CRUMP)」の報告によると
日本の大学生の学習時間は授業も含めて1日あたり3.5時間しかない。
これは小学生や中学生のときよりも短い。
週あたりの「授業に関連する学習時間」もアメリカよりずっと短く、多くは週5時間以下で、まったく勉強しない学生も1割近くいる。
アメリカの学生の1割近くが週26時間以上勉強しているのとは大きな違いだ。日本の場合、小学校、中学校、高校の学習時間は割と長いのに、大学生になるとガクッと学習時間が落ちるのが特徴だ。


授業時間を含めて1日たった3.5時間しか勉強しない…小中学生より短い大学生の勉強時間が示す日本のヤバさ(岩田健太郎)

これらの数字の根拠は2020年10月の報告書

『大学教育-2010年台の変化 大学生・教員調査の2時点間比較』

のようです。

そこから岩田さんが導き出した
「大学生活で死ぬほど勉強する英米の学生、大学4年間で遊び呆ける日本の学生」
「(受験で)バーン・アウトして勉強しない大学生」
という結論は正しいのでしょうか。

前提として
ここでの数字は学校での授業時間を含めてプラス何時間の合計であると理解します。
さらに
文部科学省の基準では大学では受講時間+その2倍の時間の自学をもって単位習得の目途にしているそうです。

まず
「英米」をひとくくりにする言い方には無理があります。
英米のトップ大学集団は「私学」で学費が高いのは共通していますが
日本で言う「Fランク(もしかしたらそれ以下のG?ランク)」の学校も含んだ米国での一般論には無理があります。
だから「学生の1割近くが週26時間以上」という言い方になっているのでしょうか。

日本でも上位校の学生の学習時間は同じくらいはあると思います。
週26時間と言ったら週7日で一日4時間程度ですか。
一日、授業を含めても4時間程度です。
わたしも事情で研究者への志望をやめるまでは
週50時間以上学問のための時間をとっていました。
(文献学というのはそれだけの訓練を要求します)
学問に休日はないのです。
これが高等教育での本当の学びです。
志望変更した後でも自分の頭のトレーニングのためには2~3時間ぐらいは時間をつかいました。

でも
多くの特に私学の学生は上位校でも研究者でも目指さないかぎり
そこまでの時間を取らないと思います。

稼がないと生活できないからです。
よく学費が問題とされますが
深刻なのは学費よりも生活費です。

経歴を見てもらえばわかりますが
わたしはR大の出身です。
今は小金持ちの子女が通う学校になってしまったようですが
わたしが入学したころ(45年前)の授業料は近畿大を除けば私学最低額でした。
学生生活の費用がいまよりもはるかに安かった時代でした。

50人ほどのクラスでしたが
自宅通学者が4割
それ以外の学生のうちで生活費のために稼がなくてもよかったのは
わたしともう一人だけでした。
他の子は少なくとも仕送りだけでは生活できなかったのです。
わたしが週50時間以上時間をとれたのは
飲酒や遊びをしなければ稼がなくてもいいという恵まれた条件だったからです。

仕送りなしなので週にパートをダブルで5日やっていた女子学生もいました。
それでも演習や講読の時は指名されるので泣く泣く睡眠時間を削っていたのだと思います。
学生寮に入りたくても
人数に限りがありみんなが貧乏だったので
ほぼ仕送りなしでないと入寮できなかったと思います。

わたしのころは京都市内では一軒の家に部屋の数の人数が間借りするのが普通でした。
(わたしはアパート住まいでしたが)
今流に言えば「シェハウス?」
それでも他人が気になる子はやっぱりシェアハウス状態はきついですね。
特に東京圏ではシェアするだけの町家はないですから
やっぱり
家賃が高くなると思います。

ちなみに
日本育英会(当時)の奨学生は大学採用の場合学校枠制度だったので
(多少は学校ごとの補正はあったようだが)
当時のR大生は貧乏過ぎて応募者が多すぎて
とても採用枠が間に合わなかったのです。

ボンボンで有名なK大にいった高校の同級生の話では
親の収入が多すぎるせいや家庭の見栄のせいで
彼の実家もそれなりの財産家だったのですが
日本育英会奨学生の応募者がわずかしかいなかったためあっさりと採用になりました。

機会均等を言うなら
補助すべきは「学費」ではなく「生活費」です。
自宅から通えないということがすでに機会均等ではないのです。
なぜかこのことは誰も言わないのですね。

これが「遊び呆けた?日本の学生」の実像です。

しかも
日本では高等教育卒での就職のための「必殺ライセンス」というものがありません。
その点では本当の「学歴」社会ではないのです。
(日本の法曹・会計士補受験資格は学歴を要求していませんから)

米国では卒業資格よりも
職能資格-管理業務のフォーマットが全米で統一されていますので-が認められているかどうかが重要です。
大学ランクよりもそちらの方が大切です。
米国での企業財務やマネージメントは規格化されているので
その能力があればどの会社にも応募でき途中で他の会社に移ってもすぐに仕事ができます。

ただ
高給での採用を求めるとなれば「MBA(経営管理学修士)」が必要。
MBAコースに入学するためには大学での高いレベルの訓練が要求され
MBA取得コースの訓練は生半可なものではありません。
J・Fケネディの弟のロバーツが食事の時間がもったいないのでアイスクリームを常食にしていた話?も聞きます。
このあたりが日本の大学が「なまぬるい」と言われる理由ですね。

まあ
学校での訓練は役に立たない期待しないと公言する企業の採用担当者がいて
学生に平気で学業よりも就活を優先させる現状
それが分かっている学生は費用が工面できれば大学などに頼らずWスクールして自分の人材価値を高めるくらいの知恵があります。

岩田健太郎さんの
・「理系」「文系」の区別が学びを歪ませた
・バーン・アウトして勉強しない大学生
議論はもっともらしのですが
EU水準ならば本来高等教育を受けるべきではないグループを含んでの話です。
確かに子どもたちの才能の無駄づかいであることには間違いありませんが
教育制度の問題というよりも社会制度のひずみの方がはるかに影響が大きいと思えます。

特に受験の成績に家庭の経済状態が大きくかかわっているのは
すでに証明もいらないほどの事実として認められています。
そうすると
学生の質だけではなく
Fランクの大学の学生たちの経済状況も思いやることができます。
(わたしは学費が高いといいながらそこまでして大学に行くのに疑問を感じます。必要なのは「高等教育」ではなく安くて済む充実した「専門教育」です)
 

見出しはたいてい編集者がつけるものですが

「遊び呆ける」は一人一人に事情があるとすれば

それを無視するのは侮辱とも言えるでしょう。