オトナのための教養キソ2 親鸞は「悪人正機」を唱えたのか? | 母親ひとり親の医療の学校の受験・修学手助けします

母親ひとり親の医療の学校の受験・修学手助けします

学資・生活費・修学の相談から受験トレーニングまで。オトナ、特に母親ひとり親が「自立できる資格がとれる学校に入る」手助けをします。合格報酬・延べ払い制(交通費・雑費・入試受験料は自己負担)問い合わせは tkano0222@gmail.com、Line公式ID@026nzpas

親鸞-「悪人正機」説を唱えた大宗教家
高校の「日本史・倫理」の教科書でも日本史上最大級の思想家として取り上げられる人物です。
それは一宗派の教理を越えた思想であると認められたためでしょう。

近年
聖徳太子の名前が教科書で厩戸皇子に変わり
根強く不在説も唱えられている
呼び名だけではなくその業績とされたこともうたがわしい
このことをまるで日本史上のスキャンダルのようにとらえている人さえいます。
(厩戸皇子のことを「聖徳太子」と呼んだ最も古い文献は奈良時代なかばに編まれた漢詩集『懐風藻』の序文です。)

わたしがそれに匹敵することとして思ったのが
親鸞がいわゆる(歎異抄で言う)「悪人正機」説を唱えたのかということです。

東西本願寺を合わせると日本最大の教団である浄土真宗の開祖とされる親鸞は有名なわりにはほとんど履歴がわからない人です。
実は明治時代には「親鸞不在説」が唱えられ
妻であった「恵信尼」が娘の「覚信尼」に宛てた手紙が大正10年に発見されたことで実在が証明されたといういきさつがあったくらいです。
貴族の出だといわれてきましたが定説がなく系図の履歴も後からつくられたものであると考えられています。

しかも
戦国時代には「浄土真宗」という呼び名はなかったそうで
本願寺教団自身はこの名を自称しませんでした。
門徒たちを中心とする一揆が歴史上「一向一揆」と呼ばれましたが
もともと、「一向」とは「ひたすら(信心する)」という意味で特定の宗派を示すものではなく
狂信者の宗派というニュアンスさえありました。

戦国時代に教団は「蓮如」という大布教家によって大発展を遂げ
教主は門跡(貴族)として認められるようにさえなりました。

しかし
教団は「悪人正機」説を唱えることで発展したのではなく
親鸞は「親鸞伝絵」と総称される絵巻物、絵詞による親鸞伝で教祖として知られるだけで
そこでは「歎異抄」でいうところの「悪人正機」説抜きで浄土真宗が広まったのです。

「歎異抄」が親鸞の著作でないことは真面目に?授業聞いていた人は知っていると思います。
この本は弟子の「唯円」が親鸞との問答と師説を書き残したことになっていますが
教科書の説明とは違って正確には唯円が書いたとは特定できていないそうです。

作者を唯円とした場合、成立から約200年の間ほとんど知られることがなかった。
そして室町時代に第八世蓮如が書写し広まった。
江戸時代から宗派内での研究が始まったが
一般門徒にたいしては禁書扱いだったとされている。

さらに加えて
その作者が書き残したことが本当に親鸞の説であったかどうかの証明もできません。

親鸞の主著は「教行信証(正しくは「顕浄土真実教行証文類」)」です。
ただし
研究者の中には
「『教行信証』は、読み進めていくことがひどく難しい書物である。それは必ずしも内容が難解だからではない。経文の引用が延々と続き、親鸞自身が書いた部分はごくわずかだからである。そのわずかな部分から親鸞の思想を読み取ろうとしても、それがなかなかうまく行かない」
と思想書というよりもメモに近いものだと言っている人さえいます。

題名にある「証文」という言葉自体がもともとは「証明文書」を指していますから。

また
浄土真宗本願寺第三世覚如も真宗の元は法然の教えであると言い切っている。
「浄土真宗」という言葉自体が親鸞にとっては「真の(法然)の浄土の教え」という意味だったとする説もあります。
ここではまだ「歎異抄」は知られていません。
親鸞の考えは法然の説を受け継いだものだと理解されていたことは間違いなかったはずです。

 しかし
法然はどこまでも善を行う努力を尊んだのであり
かえって善人になれない自己をしてより一層の努力をすべきだという立場です。
親鸞は著書で自分は師である法然の教えを引き継いだだけだとしています。
法然自身も
自分の教えはChinaの僧である善導の『観無量寿経疏』によるものである。
「善導がもし嘘をいっているのであればその教えを信じている自分も一緒に地獄に行く」と善導の説をそのまま受け継いだだけとしています。

それを「悪人正機」と言うならば
「善を行っても絶対者である仏からすれば善悪は人の思い込みでしかない。人には常に欲望(煩悩)があり、その計らいによる行為はすべて悪(煩悩濁)でしかない。だから自分の計らいを捨てて仏の御心にしたがいなさい」とする説である。

「歎異抄」で最も有名な
「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや。」
(善人でさえ救われるのだから、悪人はなおさら救われる)  
というパラドックスに満ちた言葉が近現代の思想家の親鸞と言う思想家への高い評価になっているわけですが
これが親鸞の周り(本人も含めて)の誰かの言葉であったことには間違いない
それでも、今のところそれでもこれが親鸞の言葉・思想であったとは言いきれない。
親鸞という人は五里霧中の中にいます。

少なくとも
親鸞と言う人は残っている信用に足る史料の限りでは「述べて作らず」を通した人であったようです。
そこから考えると
親鸞を宗教家(教祖)としてではなく「思想家」として現代人が捉えるなら
わたしは「歎異抄」に繰り広げられパラドックスに満ちた「思想」を彼のものであるかを疑うところから始めることが正しいと考えます。