以前は高校では「世界史(世界史Aまたは世界史B)」と「現代社会」が必履修科目でした。
新課程では歴史は「歴史総合」、地理は「地理総合」、公民は「公共」が必履修となりました。
旧課程の歴史科目では
日本の歴史は「日本史A・日本史B」
世界の歴史は「世界史A・世界史B」の科目に分けられ
A科目は近現代(おもに18世紀以降)を、B科目は全時代をそれぞれ学習していました。
今回の改訂ではA科目で扱っていた近現代の歴史は「歴史総合」で日本史・世界史を合わせて学習することになり、全時代を扱うB科目はそれぞれ「日本史探究」「世界史探究」で学習することになりました。
学習指導要領では「歴史総合」は「近代化(産業・貿易の発展過程など)」「大衆化(大衆の政治参加、女性の地位向上など)」「グローバル化(人や情報の移動など)」のテーマをもって学習する科目と示されています。
近現代史に限るといっても
それに限ってしまうと肝心なものが見えなくなります。
たとえば大きなポイントに
・現在でもローマ帝国が引き継がれていること
・「特許状(charter)」が果たした重大な意味
この二つは近現代以前に遡りますが
近現代史理解の上で必須なポイントとなっています。
というよりも
この二つの理解がないと歴史理解を誤ります。
(これ以外でも中世・古代にさかのぼる必要があることがいくつかあります)
逆にこのようなポイントを知れば全体を理解する手段となります。
特に米国史ではこれを知らなければ完全に知識が間違った方向に向かいます。
米国で書かれたものを読むと
US(united states)は「現代のローマ」であるという表現がありふれています。
これなんか全く日本に伝わっていませんね。
きっとトランプ氏がいう「great偉大」にはローマ帝国が意識されていることは間違いありません。
それを知らなかったためにズレてしまった捉え方をしていることがめずらしくありません。
例えば「植民地(colony)」は重要な歴史用語ですがその意味を説明している教科書はありません。
英国法では「colony」は王に植民が特許された地を指します。
「royal~」という言葉があります。
日本ではこれまですべて「王立」と訳されてきました。
それを仮説実験授業の板倉聖宣さんは「王認」と訳すべきと主張しました。
それは「royal~」が意味することは王から「charter(特許状)」をもらうということを指していたからです。
これは王が援助するのではなくたいてい王の方に利益を還元することを意味していました。
王が運営しているという意味ではないのです。
そこで要求されるのが「charter」の概念です。
この「charter」という考え方は西洋史理解のためには欠かせないものなのです。
板倉さんも「royal」は王が特許したものであるから「王立」ではなく「王認」が正しいと言ったわけですが
これまでの歴史教科書では王が特許を与えることの由来は説明していませんでした。
「植民地(colony)」が「公的」なものであると同時に「私的」なものであること
各国の「東インド会社」がなぜ国家並みの権限を与えられたかということ…
これらは植民地(特に英領)の本質を知るために必要なことです。
近世までの欧州では今流に言えば強力な産業別組合である「ギルド」は国家内国家と言えるものでした。
(いざとなれば武器での実力行使も当然のことでした)
その支配を逃れて営業するためには
王の特許(保護)をもらうしかない
それが「charter」の起源でした。
このように「charter」は王権が伝統的な支配を壊し
それからの解放を意味することでもあったわけです。
特に英領では植民地とは個人や集団が王から地域支配の営業許可をもらうことでした。
だから
東インド会社がインド亜大陸で政治や軍事の権限をもったり
独立前の北米13州が別々の法人格(国家)であったりしたわけです。
ただ、それが単純に古い制度からの解放とは言えないのは
宗教改革で目の敵にされた「免罪符(贖宥状=しょくゆうじょう)」も言ってみれば神(教会)からの特許状といっても差し支えないものであることからもわかります。
検定教科書で「鎌倉幕府成立」の年が変わったことが話題になりました。
単に年号を覚えるためなら面倒なだけなことです。
それでも教科書の内容を変えようとする理由には
日本史とは何かという根本があるからです。
・武士とは何か
・江戸時代に完成する武家政権が日本史上どんな意味をもっていたのか
といった日本の歴史の理解から避けて通れないことがらを含んでいるからです。
そのようなポイントになる概念を押さえることが
歴史を単なる知識ではなく学問として身に着ける基本となるのです。