慶応義塾長国立大学費3倍増を提案 提言は妥当か? | 母親ひとり親の医療の学校の受験・修学手助けします

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伊藤公平・慶応義塾長が国立大学の学費を現在の約3倍、年間150万円に引き上げるべきだと提言したことが議論になっています。

「教育の質向上 内容で競争」 「国立大 学費年150万円に」提言…慶応義塾長に聞く

 

慶応義塾大学は藤沢キャンパスで日本で初めて本格的な米国式高等教育のカリキュラムを始めた実績があります。

そんな慶応大学のトップらしい発言と言えます。

 

この提言の中心は授業料値上げよりも「教育の質」を問うことにあります。

大学学部生はさておき

世界の常識では

本当の意味での高等教育にあてはまる修士クラスの以上の人材が日本では全く役に立たない現実があります。

よく言われるように

日本では修士・博士の評価が低い、需要がないのではなく

欧米に比べてレベルが低すぎるから就職先が限られるのです。

本当に有能なら日本国外でも就職できます。

能力さえ高ければシンガポール・UAEが喜んで採用しているはずです。

 

欧米ではすでに実質の高等教育は大学院以上の課程を指し

学部はそのための準備・基礎教育の場です。

これが「学部生はさておき」の意味です。

それだけ欧米の大学教育は厳しい訓練の場になっています。

残念ながら大学での訓練が不十分のため日本では大学院生のトレーニングレベルが低いのです。

 

一応断っておきますが

米国には日本のように制度としての学校というものがありません。

何をもって「大学」と呼ぶかという基準がありません。

逆に

MIT(Massachusetts Institute of Technology)

日本名・マサチューセッツ工科大学のように高レベルな学校でも大学を名乗っていないこともあります。

(かつて、工学は高等教育と認められなかった名残、理学は高等教育ですが、医学・工学は本来高等専門教育です)

ここでは米国については高等教育にふさわしい学校だけを対象にします。

 

その点では

伊藤塾長が言うように

今の中途半端な高等教育の質を高めるために応分の負担をしなさいということには道理があります。

伊藤さんの主張では

「日本私立大学連盟の調べでは、国立大は平均で学生1人当たり年間283万円の収入がある。このうち54万円が学生の支払う学費で、残りの229万円は税金で賄われている。」

 

私立大学の場合

実際の国庫負担率は経常的経費に対して標準で10%程度と言われています。

これが不公平という主張の根拠なんでしょうね。

 

私学助成法(4条1項,7条)

研究・教育に要する経常的経費の2分の1以内の金額を交付する

”2分の1を超える割合(金額)に増額することも可能である

 

ちなみに

米国ではトップクラスの私学では

標準で年間学費300万円

より最高の水準を求めれば500万円必要とされています。

EU諸国では無償となっていますが

小学校を出た時点で自分の進路を決める必要があり

ギナジウム卒の学歴が実質の受験資格になっています。

 

大学と言う名前にこだわるなら

米国のように

安い名前だけ大学と

高等教育にふさわしい大学院を目指すことが基本になる大学とに分ける必要があります。

学費を給付型奨学金で補えという主張もそれで財源がある程度解決します。

学業に専念する者を手厚く扱えということです。

(現実の日本の大学生の90%以上が受けている内容は高等教育ではなく専門教育です)

 

ただ

受益者負担という議論をするならば

もともと「私学助成は憲法違反」であるという法解釈があることを知ってもらう必要があります。

 

憲法第89条 条文

「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。」

 

要するに「私立大学が公の支配に属しない教育事業であるとすれば公金の支出(補助金の交付)は憲法違反」との疑義があるという事です。

 

違憲・合憲の判断は分かれていて

『公の支配に属しない事業』については

「国または地方公共団体の機関がこれに対して決定的な支配力を持たない事業を意味する」との解釈が基本となっているようです。

 

具体的には、『公の支配に属しない事業』とは

「その構成、人事、内容および財政などについて公の機関から具体的に発言、指導または干渉されることなく事業者が自らこれを行うもの」としています。

 

合憲とする考えは

簡単に言えば国や地方自治体が認可してことを「公の支配が及んでいる」とする考え方の様です。

 

国は法律上の白黒をつけるよりも

助成金を予算化するという事実で立場を示しています。

 

もともと

経営者の儲けやステータスのために学校を経営しているのでなければ

なぜ、わざわざ学校をつくるのかは国公立とは違った教育理念があるからのはずです。

(一応、たいていは教育理念というものを挙げていますが)

教育はその子の人生にかかわることなので

覚悟なしにやるものではないのです。

(力む必要はないが)

 

それならば

わたしには公費を期待して学校経営するのは筋違いのように思えます。

英米のたいていのトップ校は大量の資金をもっています。

数千億から兆の単位の資金です。

それだけ出資したり寄付したりする意義があるということですね。

本来の教育理念とはそうしたくなるものではないでしょうか。

 

道理に合っているのは

学校への助成ではなく

学生(生徒)への直接の給付です。

実際の助成が10%の金額ならば

その予算を学生に給付奨学金を渡すのが筋です。

 

給付奨学金にしても

成績がいいから給付ということにも疑問を感じます。

医師養成であれば成績がいいから医師になるのではなく

人の役に立ちたい者を医師にする

これが本来の姿のはずです。

必要な能力があるならば

問われるべきものは本人の意思・意欲であるのが当然です。