善意が人を苦しめる まず、ボランティアという日本語から考え直そう | 母親ひとり親の医療の学校の受験・修学手助けします

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こんな題名が頭に浮かんだのは「くさか理樹」さん

「ヘルプマン 介護ボランティア編 Vol.10」の題名

「大の大人を哀れな子供扱いして差し伸べてくる手は凶器だ。」を見てです。

 

このことは

人間は善意のうちに差別をする 《書評》森田洋之・加藤忠相 著『あおいけあ流 介護の世界』」でも取り上げました。

 

何で「ボランティア」という言葉を標的にしたかというと

わたしが天邪鬼なのでしょうが

「ボランティア=善意=無料=すばらしい」という思い込みに

しっくりいかないものを感じるからです。

 

特にこの「善意」という部分に引っかかりを感じます。

言ってみれば「善意」は簡単に暴走するということです。

わたしが有料で手助け事業を考えているのは

有料であれば自分を客観的に見ることができるだろうということもあります。

 

まず、わたしがおかしいと思っているのは

日本でのボランティア(volunteer)はタダという誤解です。

日本政府(”ボランティアについて(PDF)”. 厚生労働省 社会・援護局 地域福祉課)も勝手にボランティアの定義をしています。

 

もともと、ボランティアの語義に無料ということは全く含まれていません。

自分から志願した、強制されたものではないということを指します。

自分からすすんでやればすべてボランティアです。

 

極端な例を上げると

「傭兵(雇い兵のことです)は普通volunteerと呼ばれます。

日本では義勇兵と訳すこともあります。

 

戦闘を職業にする兵を指すわけですが

少なくとも徴兵された兵ではなく

自分の意志で従軍する兵ですから

志願兵ということになります。

戦闘を職業にしていることをぼやかすための言い方ですが。

(よく軍人は戦争が好きだと誤解されますが

民主国家の軍人は戦う訓練をしても

戦わないために最善をつくすのが仕事です。

決して戦闘を職業にするわけではありません)

 

じゃあ

日本で考えられている、日本政府や行政が考えているボランティアとは何かというと

ただで都合よく政治・行政に使われてくれる人が望みなのです。

 

結局

日本ではうまくただで使われる働き手にされています。

 

実は

かつて、東日本大震災の年の夏に

わたしの職場で

心理療法士の訓練を受けている同僚が被災地の子どもの精神状態を気にして

自分の能力を活かして子どもの相手をしたいという希望を伝えたのですが

受け入れ先からは

それは困ると言われたのです。

 

自分たちに受入れ能力がないから

勝手に動かれるのは困るというような事情だったようです。

 

それでも彼女は役立ちたいので

避難所で塾というか家庭教師というか

そんなことを一月ほどすることで折り合いをつけました。

現場で起きているのはそんなことです。

 

でも

現実から考えれば

単純作業をやってくれる人

自分の都合で来る人を期待しながら割り振るよりも

被災した人を雇って計画的に仕事をしてもらうほうがいいに決まっているのです。

極端に言えば自分の家の後かたずけであっても

復興の一部だといって賃金を払えば

被災者に仕事と収入を与えることができます。

 

自分の家の後かたずけに金をもらうことの是非はおいておくとしても

被災後落ち着いたら

すぐに復旧をやることと収入を用意することが復興には大切なことです。

 

加えて

ややもすると

タダでやることは時に人を傲慢にします。

善意はコントロールされて初めて活きます。