「漢字テストのふしぎ」というYoutubeの動画があります。
この動画で明らかになったのはインタビューされた教員たちがほぼ全員漢字に対する基本的な知識をもっていなかったことです。
一応、弁護しておくと
国語科の教員(+高校書道科)であっても教員養成課程で漢字についての教育を受けることは全くありません。
一般に日本語のことは文部科学省が決めていると思っている人が多いのですが
漢字についてのガイドラインを決めているのは文部科学省ではなく文化庁です。
文化庁は外局と呼ばれ文部科学省に含まれる役所ですが
漢字については文化庁の仕事で文部科学省が行うのではないという意味です。
ただし
学校教育の範囲では文部科学省が対応しています。
現在、漢字については文化庁内の「文化審議会国語分科会(旧国語審議会)」が建議・答申をしています。
国には漢字についての決定権はありませんが
それに報道機関・出版社が従うので
事実上「文化審議会」の建議・答申が政策決定と同じ意味をもっています。
そこで
「文化審議会国語分科会」が考える「漢字の正しさ」とはどんなことなのか?
そのためにはまず「字体」と「字形」という考え方を知ってもらう必要があります。
旧国語審議会答申に基づいて旧文部省が作った「常用漢字表」というものがあり
国が規則を決めているのはその約2000字の「常用漢字」の範囲だけです。
ですから、規則上は常用漢字以外は正しい形、書き方というものは存在しません。
正しい正しくない以前に常用漢字以外の漢字は野放しになっているということです。
その考え方では、
「文字の骨組み」を「字体」
「書くなどして現れた具体的な文字の形」を「字形」
としています。
たとえば、「宇」「字」「学」「學」などはそれぞれ文字の骨組みが異なりますから、「字体が違う(別の字)」と言えます。
それに対して同じ字を手書きで書いた場合
書くごとに少しずつ字の形が変わり完全に同じ字は書くことができません。
(トレーシングペーパー上でトレースでもしないかぎり無理でしょう)
ところが
少しずつの違いがあっても同じ漢字と分かります。
それは人は書かれた漢字ごとに違いがあってもその中に共通の形を見るからです。
(これがパターン認識といわれるものです。コンピュータの深層学習はこれを技術化したものです)
これが書かれた文字の「字形」が同じということです。
なぜ、同じ字形であると判断できるかと言えば
それぞれの「字形」を通して同じ字の「字体」の共通性を見ているからです。
だから
「字体」は書くごとに違っている「字形」でしか表すことができませんから
「字体」は実在するのではなく概念としてしか存在できません。
「字体」は理論上は存在できても実際の形としては存在しないので
「字体」の概念を身につける方法は経験と洞察とで違いがあっても同じと認める範囲を知るしかありません。
全く漢字を知らない人がいくら上手にまねをしても
とんでもない形の漢字を書くのはそんな理由によるものです。
筆写体の例で話をしてきましたが活字でも同じことがいえます。
同じ「字」の別書体を集めてみました。
外見からすると違っていますが
同じ「字」の文字であることを判別できます。
これはすべてが骨組みの同じ「字」と認識できます。
そのことから、まず、「字体が同じ」ということができます。
そして、文字の太い細いや、デザインなど、具体的に表れた形が異なります。
ですから、「字形が違う」と言えます。
アルファベットを学ぶことと比べれば漢字を学ぶことの複雑さが分かると思います。
漢字の書き方には正しい範囲はあっても正しい書き方はないことが分かります。
だから、経験に頼るところが多すぎるのです。
「教えられる方」は理論を知らなくても学べないことはありません。
しかし
「教える側」は理論を知らなければ致命的な失敗をやっても気づかないことがあります。
漢字学習で起っているいろいろな混乱の理由には
・教員の能力不足
・教員に知識・能力をもたせるためのシステム不足
・漢字教育に対する予算・真剣さ・時間の不足
などがあります。
要職にあるたいていの人たちは漢字学習に苦労しなかったから出世したわけで
多くの子どもたちが漢字学習に苦しんでいることを実感では分からないでしょう。
日本では漢字が使えなければまともに仕事ができないのは当然すぎることです。
まず、漢字学習が大事だと発言した人は言ったとおりに本気で対策に参加する事を求めます。
自分が漢字を教えることをしなくてもいろいろな手助けの方法があるはずですから。

