二度目ましての元善光寺 | 行くどー!今週末もキャンプじゃ!!!

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ほとんど毎週キャンプに行っている我が家のキャンプ日記です。
一番行った時は、年67泊。一年の内に2か月は外泊…(笑
最近は、冬はスキー。それ以外はキャンプ&車中泊旅三昧。
帰り道はプチ観光を楽しんでいます。

さぁ~て、今週末はどこに行こうかな~?

【11/4 4日目②】

 
 
自宅方向に進みつつも、雨も上がったので…ついつい寄り道。
まあ、昨日も書いたけど、帰らなければならない訳じゃないからね。
ってなことで、二度目の元善光寺。だって、帰りがけの道すがらにあるからさ。
→前回記事はこちら
 
 
てなことで、元善光寺ではありますが…なんとな~く、善光寺と関係はあるよね。
「元」って付くんだから、こっちが元祖で、あっちが後からなんだよね?と。
せっかくなので、ち~と調べてみると…
 

信州善光寺を開山した本田善光、善光卿が最初にご本尊を安置したのが長野県飯田市。現在の元善光寺である。
長野県飯田市には、元善光寺と呼ばれるお寺がある。信州長野の善光寺ととても関わりが深いお寺なのです。
元善光寺縁起からその関係を見てみましょう。
元善光寺縁起によれば、推古天皇10年に信州麻績の里(現在の長野県飯田市座光寺)の住人、本田善光が難波の堀から一光三尊の如来像をつれて帰り、自宅西側の部屋の床の間に臼を置き、その上に安置したのが起源とされています。
親子3人は、朝夕、如来様を礼拝供養し、そのご利益は広く世間にも知られるようになりました。そこで、小さなお堂を建ててお移ししたが、朝になると決まって元の臼に戻ってしまわれる。
如来様は「たとえ立派なお堂に安置されていても私の名を唱える者がいないところには住めない。私はいつも西にいる。」本田善光はそれを聞いて41年もの間、臼の上に安置して供養したと言います。
その後、如来様のお告げによって長野に遷座し、建てられたお寺が、善光の名をとって「善光寺」なのです。一方で、当地には勅命によって木彫りの三尊像が残され、「元善光寺」と呼ばれるようになりました。

⇒引用元 長野善光寺と飯田元善光寺、両方参拝しないと片参り

 

ということなんですな!

まっ、ある意味元祖で合ってるみたいな…

 

 

てなことで、二度目のお詣り。

考えてみたら、次女と自分しかお詣りに来てないんだな。

「一度詣れよ元善光寺 善光寺だけでは 片詣り」という言葉があるそうだから、善光寺だけお詣りしたかみさんと長女も連れてこないとな~

 

 

で、我が家的に言えば、善光寺といえばお戒壇巡りなんだよね。

なにせ、初めてお戒壇巡りをしたのが、甲斐善光寺だからね。その後、長野善光寺でも、ここ元善光寺でもお戒壇巡りしてるし。

初めてのお戒壇巡りでは、真っ暗で怖くて怖くて、自分にギューッと抱っこしていた次女も小5。もうね、すっかり暗がりでも平気ですよ。

なので、お戒壇巡りが楽しみで仕方ないようで…

 

 

もうね、こんな感じですよ。楽しくてしょうがない年ごろなんだよね~

 

 

 

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