静寂の中で響き渡る友美の叫び声を聞きながら、私の頭の中はフル回転を始める。
男の心の動き!そしてそれを受け止める女の心の叫びが私の中で文字となって降り注ぐ。
出だしはどうする?この男はなぜに自分の妻をそこまで暴力と言う鎖で地獄の底まで落とし入れようとするのか?その先にある物はきっと、男の弱さ・・・
友美の叫び声が終わる頃には私は題名の無い小説の一章説を既に完成させていた。
文字書きとはなんと愚かな生き物なのだろうか?
それと同時に私は愛用のボイスレコーダーを手元に置いておかなかった致命的な過ちに悲鳴を上げる。
頭の中で完成して行く文字の羅列はドンドン消えて行く。
それは何時もの事で別に珍しい事ではない。何時か時期が来ればまた同じ文章が私の頭の中に蘇るからだ。しかし、今回は自信が無かった。この怒りにも似た感情を再び文字と言う世界で表す事はきっと、二度と出来ないだろう。
私は直ぐに起き上がるとまだ、消えていない文字達をボイスレコーダーに避難させる。
「傑作をまた消してしまった・・」そんな戯言を呟きながら。
しかし、何時までもそんな余韻に浸り後悔をしている場合ではない。
なぜなら、今、自分が書かなければいけない話はアイドルとおっさんの恋愛話なのだ。
ボイスレコーダーに最後の文字を呟き私はそのまま深い眠りに落ちて行った。
次の朝、燃えないゴミを出しにゴミ捨て場に向うとそこには友美の姿があった。
何時もと違い彼女は深々とお辞儀をして礼を尽くす。
「先生!おはようございます!」
先生と言われなんとなく寂しい気持ちになる。
そして再び担当者の本間の言葉を思い出す。
「彼女は人妻だから愛してはいけない・・」と
その深いお辞儀は業務的であった。その瞬間、今まで何の隔たりも無かった隣人は、何時の間にか私の下の地位の人間に変わった。仕事という名のもとに・・
私は軽く会釈をしながら呟く!「やぁ~おはよう!」と
そう言いながら彼女の全身を舐めるように上から下へ見つめる。
真っ白なまるで雪のような肌に点々と青い痣が見え隠れしている。
それが昨夜の悲鳴の証だと言わんばかりに・・
私は自宅に戻るとパソコンの電源を入れ小説を書き始める。
何かしていないと心が壊れそうだったのだ。
そう何かに没頭して現実の世界から逃げ出さないと私の小さな心は壊れ廃人なりそうであったのだ。
しばらくするとパソコンのメールランプが着信を知らせる。
「誰だ?こんな朝早くから・・」
私はそう呟きながらメールを確認する。
見慣れないメールアドレス。静かにメールを開く。
「ベッキー先生!おはようございます!まいちゃんです!」
まい?そんな名前の人物が誰なのか直ぐに思い出すことが出来なかった。
以前まであんなに気にかけて居た女なのに・・
「最近、あまりブログに遊びに来て頂けていないようで!まいはチョ~寂しいですよ~
お仕事が忙しいのかな?たまには遊びに来て絡んでね?ヨロシクね~」
何とも軽い文章に不快感を持つよりなんとなく安らぎを感じる。
そういえば、あの北海道の青年はどうしてるのだろう??連絡をしてくれとアドレスと確か携帯の番号を教えたはずなのだが?
久々にまいのブログにアクセスをしてみる。当初、私だけだった読者は20人に増えていた。そんな読者を上から順番に見つめる。
「安藤健と申します!」
そんな題名のブログを発見した瞬間、私は何の躊躇もなくそのブログに飛んだ。
北海道の雄大な景色が広がっていた。
ブログに貼られた数々の北海道の写真。ブログのメッセージボードにこんな言葉・・
「辛い時は思い出せば良い!君の心に刻まれているこんな何の変哲も無い景色を・・」
それが安藤君からのまいへのメッセージである事は一目瞭然であった。
辛い時に思い出せば良い!君が過ごした北海道の景色を・・
私は貼られている北の雄大な山々を見つめなんとなく心が洗われる気持ちになった。
まいのブログに戻ると2回目のライブの告知が表示されていた。
私は迷わず予約フォームをクイックしてそのライブのチケットを2枚予約した。
その後、コメント欄にコメントを残す。
「何時も応援しています!次のライブにも絶対に行きますよ~~」と
ファン心理。一人のアイドルを愛するそんな人間にならなければいけない。
小説家とはなんと不器用で愚かな生き物なのだろう・・
そして一冊の物語を完成させてしまったらきっと、私はそんな人物を辞めてしまし次の違う小説の主人公に変わって行く!ある意味、罪深い人間である。
ただ、そんな物なのだろう人なんてものは!一生涯同じ人間のファンで居る事が出来るのはきっと、ファンではない!それは愛なのかもしれない。
私は直ぐに本間に電話を入れる。「はい!誰よ!まだ夜中よ!」時間は8時を少し過ぎた頃である。夜型のこいつにしてみればまだ、夜中なのかもしれない。
「俺だ!ベッキーだ!真夜中にすまないな!でも俺にしてみれば朝だ!」
そう私が不機嫌そうに言うとハッ!としたように本間は言った。
「せ・・先生!申し訳ございません!何か不手際がございましたでしょうか?」と
「いや!デートの誘いだ!」そう私が冗談で言うと一瞬の沈黙のあと深いため息が聞こえた。