次の日、私は居たたれまれない思いで目を覚ます。時間はやはり何時もの習慣で4時であった。昨夜の彼女の悲鳴にも似た叫び声が耳から離れなかった。
しかし、正直、私には関係が無い話である。そうだ関係が無い。
夫婦には夫婦の決して他人には入り込めない世界があるのだ。
どんなに旦那が暴力を振るっても相手が助けを求め来ない限り私にはどうにも出来ない事であった。
私はそんな想いを掻き消すかのようにパソコンの電源を入れて締め切りまじかの月刊誌のコラムの執筆を始めた。
それからしばらくは平穏な日が続いた。火曜日と木曜に数回、彼女とゴミ捨て場や階段で出会ったが何時もと変わらない笑顔を私に向けてくれた。
「そう言えば坂本さん!離婚されたんですよね!」
そう出版社の担当者に言われたのは11月に入ってからの事であった。
東京の本社で次回作の打ち合わせをしている時に彼女が突然にそう私に聞いた。
「ああ・・良く知ってるね!内緒にしていたのに・・」
「ええ!みんな知ってますよ!それに今、静岡に住んでるですよね!この世界は広いようで狭いですからね!」
本当だ!この世界は広いようで狭い。
「そう言えば静岡のどちらに住んでるんですか?」
「えっ・・あ~伊豆長岡って知ってますか?」
「ああ・・知ってますよ!そう言えばうちの支社が沼津にありましてね!
そこに本社から結婚して移動になった同期の子が居て・・
そう言えば友美も伊豆長岡だって言ってたような?」
「そう!沼津にも支社があるんだ!ならわざわざ東京に来るのも面倒だからそっちに担当者をもう一人置いてくれないかな!詳しい打つ合わせはここまで来るけど!細かい打ち合わせは沼津の方で!なんて都合が良い事には出来ないか?」
担当者は少しだけ考え「編集長に確認をしておきます!でも、沼津には文芸部が無いんですよね~雑誌系に編集部しか!」と私に告げ席を立ち上がる。
私は一応、名目上の次回作の打ち合わせを終了させると担当者の本間と数人の編集者と夜の街に消えた。
連絡が来たのはそれから一週間後の事であった。早朝、私の携帯電話が突然にけたたましく鳴り響く!
「先生!どうも本間です!先日の担当者の件なんですが、沼津支社の方に佐藤友美と言う女が居るんですが移動前は私と同じ部署におりまして!数人の作家の担当も経験しております!彼女に任せようと思うのですが?先生はどうですか?上にはもう確認済みですので
あとは先生のご都合しだいです!」
本間のそんな電話に私は寝ぼけまなこで曖昧な返事を繰り返していた。
「それなら一度、社のほうに行って頂けますか?どうせお暇でしょ?たまには動かないと熊になりますよ!キャハハハ・・」
本間の甲高い笑い声が耳に付き私は意識を取り戻した。
「今日にでも行ってください!佐藤今日子と受付で言って頂ければ話は通しておきますので!」
本間にそう言われ私が電話を切ろうとした瞬間・・
「あっ!それと先生!マジ美人ですけど彼女、人妻ですから!妙な考えは持たないように!もしも、ムラムラしちゃつたら、私、本間順子が何時でもお相手いたしますので!」
そう私を馬鹿にするかのように本間は言うと電話を切った。
まったく!最近の若い女は失礼だ!いや・・特にあいつだけかも知れないが。
ふと時計を見るとまだ午前の3時であった。そして外は真っ暗・・
いったいあいつらはどんな生活を送っているんだ!そんな独り言を呟きながら私はもう一度布団に潜り込み深い眠りに落ちて行った。
何時ものように4時に起きて散歩に出かける。そしてテープお越しを済ませると炊飯器のスイッチを押した。朝食を済ませ今日が木曜日である事に初めて気がつく。
私は急いで生ゴミの袋を取り出すとゴミ捨て場に急いだ。
丁度、出勤前の彼女と鉢合わせになる。
「おはようございます!」
無精ひげを生やした私の顔を見つめながら彼女は爽やかにそう言った。
「あっ!どうも!おはようございます!毎朝、早くから大変ですね!」
そう私が言うと
「いいや!今日は特別なんです!実は今日から新しい仕事を任されましてね!その予習と言うか担当する先生に今日、お会いしないといけないものですから!」
先生?担当??
「あの~佐藤さんのお仕事って何をされているのですか?差し支えなければ・・」
「あっ!私も坂本さんと同じで出版関係なんですよ!主人はまったく畑違いの仕事ですけどね!処でどちらの出版社ですか?」
時計を見ると成る程、何時もよりも若干早めである。
私は少しだけ考えて呟いた。
「あなたが知らないような小さな弱小出版社ですよ!こんな私でも務まるようなそんな小さな出版社です」と
友美はなんとなく聞いてはいけない地雷を踏んでしまったような顔をした。
そして軽く頭を下げてその場から立ち去った。
「今まで誰も本気で愛した事が無かった事にやっと気がついたの!金田さんと出会って本気で愛せる人に会えてやっと、その事に気がついた。」
ふと、今日子のそんな言葉を思い出す。私は何も言わずただ、彼女の後姿を見つめていた。