頬に手をあて
もう、そっと忍び込むなんてこたぁしない。勝手知ったるジャッジ官邸、の中のまぁごく一部だが。クソ真面目なジャッジマスターの部屋に堂々とドアから入る。ノック?自分の隠れ家にノックをして入る空賊がいるのなら、お目にかかりたい。ドアが開いた途端、流石にぎょっとしたように眼を見開き、瞬時に甘い顔つきに変わる部屋の住人に、何ヶ月か振りの抱擁とキスを許す。ソファにふんぞり返り、足を組み「オレに構わず続けてくれ」と、書類が山積みの机をひらひらと掌で指し示した。オレが部屋に入った時、バッシュは机に片肘をつき頭を抱え、しかめ面で書類を繰っていた。「キミがいるのに?無理な事を言うな」ばさばさと書類を片付け始めるその、どうでも良いものを扱うような手付きにオレは満足。「いや、オレはアンタの邪魔や負担になりたくない。アンタの事だ。溜まった仕事を持ち帰っているんだろ?片付けちまえよ」なんて心にもない事を言う。それには応えずさっさと酒の用意を始める辺り、バッシュもオレに慣れてきた証拠だ。二人でソファに座り、肘掛けに凭れ頬杖をつくバッシュにオレは全身で凭れて、ぽつぽつと最近の出来事を話したりする。「あんときゃオレも焦ったぜ。もう二度とアンタの顔を拝めないかと思った」などと肩に受けたモンスターの牙の傷を見せつけたりする。まるで自分が傷ついたかのように、眉を顰めるバッシュは「こんな怪我をまるで勲章の様に見せびらかすのは、危ない事をしてはいけない、と叱られたいのか、心配で気が狂いそうだ、もうわたしの元から離れるなと言わせたいか…どちらかだろうな」妙な推理を披露しつつ、オレの身体を強く引き寄せそのまま押し倒し始める。「おいおい、オレはまだグラスを持ったまま。溢れる溢れるって」鼻息荒いバッシュを押しとどめ、話の続きがあるだろ、最後まで聞けとお預けを食らわせる。続きなんてない。現にこうして無事に帰ってきている。ただ、オレに夢中なバッシュの姿を見たいだけだ。それと、今夜はもうひとつ。この部屋に入って気付いた事がある。酒がなければいいのだなと、さっさとグラスを取り上げる単純明快な頭脳の持ち主の背中に「アンタ、明日の予定は?」と声を掛けた。「休む」と一言。期待通りの模範解答。よ~し、上出来だ。「それじゃ明日は…」グラスも酒も仕舞い込み、そそくさとオレの隣に座るバッシュの顎に手を掛ける。「歯医者に行こう、な?」前回来た時に、確か歯が痛むと言っていた気がする。今日は何度も顎に手をやり頬杖をついていた。このオレがいるのに。しばしの沈黙。「……ばれたか……」先程とは別人の様な諦めきったしょぼくれ声。帝国中の少年の憧れ、若き皇帝の右腕と称される泣く子も黙るジャッジマスター。もうすぐ40歳になる男が、どうして歯医者に行けないのか…。将来じじぃの入れ歯のお手入れなんて、オレの未来は真っ暗じゃないか、どうしてくれる。だからさっさと行って来い。ケツに一発蹴りを入れたのに、キミには弱みを握られっ放しだと嬉しそうに笑い始めるバッシュにつける薬は…世界で一つ、オレなんだろうな。安心しろ、診療室まで一緒に行って手を握っていてやるよ。( 2011・07・30 NEW )あ~、つまり誰しも弱点の一つや二つはあると思うんですよ。そんな所も二人で補いあっていけたらいいな、と。いや、わたしがじゃなくて。わしゃもういい、どうもならん…(遠い目)ほら、スキー場やら海辺やら旅先で出会ったかっちょいい人カワイコちゃんが実は普通の人、街で会ったら急に醒めた、なんて事が在るらしいですがこの二人も旅の間はずいぶんかっこつけてて、でも日常の中では普通の人。でも好き。そこが好き、もっと好き。な感じを出したかった…のは後付でただ腰抜けバッシュを書きたかったんだが…世話女房ばるちゃんになっちゃった…。