変わらないけど変わった・・・けどやっぱり変わらない |  お転婆山姥今日もゆく

 お転婆山姥今日もゆく

 人間未満の山姥です。
 早く人間になりたい。

夫の故郷からの帰途、LINEが入った。小1の頃からの友達が

「○○さんが久しぶりに帰省して、会いたいと連絡が来て、今○○に何人かいます」

 

突然のことであった。

同窓会などの集まりはマメには無い。

比較的頻度が高いのは小中時代の同窓会だったが、コロナのせいで全て無期限休止中である。

 

クラスによってはそれでも「集まりたい」人がいて、そういう人たちは「結局毎回同じメンツ」で飲むのだそうだ。

私が出席したのは10年も前で、小学校の同窓会だった。

当時は、校長先生も担任の先生がたも健在であったが今どうしているか。

担任とて親と同じ世代だ。月日が流れるのはなんて早いのだろう。

 

折り悪く

「夫の故郷からの帰りで、まだ県境も越えてなくて」

と返事をする。もとより行く気もなかった。コロナ禍は繰り返しているし、私は飲めないし、疲れてもいるし、猫たちが心配なのだ。

 

夫に話すと

「行っておいでよ、次…なんて言ってても結局会えないもんだよ」

と運転を代わり、少しスピードを上げた。

「行かないって返事したよ」

「顔出すだけでもいいじゃん、何年振りなの?」

 

・・・同じ町に住んでいても会っていない人ばかり。稀に行き会うとしてもスーパーや、ドラッグストア程度だ。

「15年・・・」

と言うと

「会うべきだ!」

 

で、夫が

「心配いらないから楽しんでおいで」

と友人たちが集まっていると思しき店の前で車を停めた。

「もう散会しているかもしれない」

「見ておいでよ」

 

車から降りて遠く窓越しに中の様子を見ると・・・・。

 

「みんないるわ」

「じゃ、迎えの時に連絡して」

と夫は去った。

 

初めての店である。

そっと戸を開けるとそこそこ混んでいて、左奥に懐かしい顔が見えた。

店の人に、彼女らのテーブルを指差すと、ニッコリと

「いらっしいませ」

とそっと目配せしてくれた。

 

ひっそりと近づき

 

「こんばんは」

 

と声をかけると、一瞬沈黙のあと

「あーっ!!! 久しぶり!!! 来てくれたの??? 嬉しい!!!」

 

一番遠方から帰省した(今回会いたいと地元の友人に連絡した)懐かしい友人と握手した。

 

「元気だった?」

それぞれと口々に言い合い挨拶をする。

その後は、あの中学の頃、3年3組の女子たちに戻ったのだった。

 

それぞれとサクッと近況を語り合う。

皆、子育てを終え、現在も働いている人、孫が出来た人、親世代の介護など、それぞれの環境がお互いに分かり合える。

隣の席のF子が

「仲良くしてる?」

と聞いてくる。

 

事情を知らない友人もいるので聞き耳を立てている。

「うん、癌になって、離婚して、再婚して、去年も手術したりもしたけど、お陰様で」

と言うと

「えー、そうだったんだ!!」

「県外にいたってさっき連絡来たけど、旦那さんに送ってもらったの?」

「うん、行っておいでってここで降ろしてくれた」

「良いなー、ラブラブ」

 

ひとしきり騒いで、ドリンクが届いた。

 

「皆さん、飲んでるの?」

「いやいや、車だし皆ソフトドリンク」

「女ってそんなものよね」

 

テーブルにはずらりとイタリアンの料理があったが

「お食事はこれからなの?」

「いやいや・・・みんなあまり食べないのよ、食べて食べて」

 

オリーブオイルやガーリック香る、ピザ、パスタ、サラダ、ローストビーフ、ペンネアラビアータ・・・

 

「どれも美味しいんだけど、こういうのってこの頃進まなくてね」

と言うと皆がうなずく。食べてと勧められるが

「私も夕飯は途中で済ましてきたから」

「山形ならお蕎麦食べてきた?」

「ううん、日本海側だから・・・」

イタリアンを前になぜかお蕎麦の話で盛り上がる元少女たち。

話は尽きないが、オバさん的要素も実に多い。あれこれ語らうには時間が足りない。あっという間に時間は過ぎて、私は自分の目がしょぼついてくるのを感じた。当然だ、普段ならとっくに寝ている時間なのである(22時だけど)。

 

「途中下車で、帰宅後のこと何もしていないから、そろそろ失礼します。皆さんごゆっくり」

と言い、皆もそれぞれ時計を見る。名残惜しさが募る。

気の利く誰かがグループLINEを設定し、皆それぞれ交換し合う。記念写真を何枚か撮りお開きになった。