夏は続く |  お転婆山姥今日もゆく

 お転婆山姥今日もゆく

 人間未満の山姥です。
 早く人間になりたい。

北国に生まれて、記憶の中で一番暑かった夏は、平成の大冷害(平成5年)の翌年であったと記憶している。

前年は夏でも長袖で、あまりに寒くて電気ストーブを点けたりして過ごした。

米は収穫できず、「タイ米」というのを初めて食べた年でもあった。

文明や科学がこれだけ発展していても、お天道様の都合は変えられないのだと畏怖した記憶がある。

 

翌年は一転、猛暑となり長くて暑い夏になった。

米は豊作で、若くて元気だった父が

「今年の米は本当に美味い」

と破顔して、珍しく饒舌だったのも懐かしい。

 

しかし近年は・・・・夏は暑いのは当然だが、気温がもう・・・。

 昨日、盛岡は連続真夏日記録を41日に更新した。

真夏日・・・ではなく猛暑日ばかりである。何処も36度など毎日である。

これで冬が楽ならば、まだ耐えることができるが、ここは雪も多く酷く冷え込む。

暑くても寒くても「苦労」である。それが身にこたえる。どこかへ引っ越したいとつくづく思うのだ。

 

今日から9月。半月経てば夫の誕生日が来る。どんなに暑くても彼の誕生日頃からは秋に変わる。それを期待しよう。

 

さて、私のブログは更新も滞り我ながら情けない。

その日のうちに書いてしまえばいいのだろうが、ほぼ出かけず、夫と猫たちとばかり過ごしているので、たまに遠出をすると、少しずつ記事にすることが増えた。けち臭いが致し方ない。

で、暑い日に夫の故郷へ向かう途中に食べたタンメンの続きである。

 

車は順調に走る。お盆休みに入ったばかりで、道路も空いている。実に快適だが陽射しは強い。

夫の実家の墓に着くころには、車の外気温計は・・・

 

   

 

39度・・・・!!!

外に出るのが恐ろしい。同じ市内でも、

「海側と街側では気温差があって、こっちは3度くらいは低いんだけどな」

と夫も驚いていた。

 

墓所にはひと気はない。こんな暑い時間に参る人などいないだろう。

海側の墓は、

「海の方を向いている」

と聞いたことがあるが、それは本当だった。高台にある墓は西を向いている。

 

不思議な感慨を覚えつつ、反面、樹木が伸びて視界が遮られるところも多く、なんだか残念な気もした。

御霊は海へ帰り、また戻ってくるのだろうか。

 

それはともかく暑い。

往復のほとんどを私が運転していて、どこかに立ち寄り停車した際に写真を撮ったが

 

    

 

 

さっきの写真とこれとの間、一時(15分くらいであった) 40度の表示が出て目を疑った。

初めて経験する「外気温40度」は極寒同様、意識が飛ぶし、皮膚が猛烈に痛い。汗が噴き出るのは少し時間差があって、涼しい車内から出てきた体が対応しきれていないのを感じた。

 

土産物屋に立ち寄ったが、大変な混雑でチラッと見ただけで逃げるように出てきた。

別なところは駅前のビルで、そこはひと気も多くなく、ああ…涼しいと感じたが店員は汗をかいていた。

「沸騰列島」などと誰かが言っていたが本当にその通りで、帰途も35度から下がることは無く、未だに夏は続いている。 

今日明日の予報・・・