義父は持病も無く、夫によると医者にかかったことが無いという。
そんな人が急逝とは…喪服や必要と思われるもの、少しまとまったお金を用意し、夫を送り出した。
「しっかりね」
が、突然父親を喪った人への私が唯一かけられる言葉だった。
様々な事情で棄ててきた故郷へ向かうのだ。
近隣住民の好奇の目もあるだろう。
義母が20年近く前に亡くなった際のゴタゴタを、ひどく辛そうな顔で話すのを何度か聞いたことがある。
身内は集まるだろうか、娘たちは?
私は彼の家のことを彼の話からしか知らないし、土地柄の仕来りも知らない。彼も私に
「行こう」
とは言わず、
「大丈夫?一緒に行く?」
の問いにもきっぱりと
「いや、いい」
と言い出掛けていった。
私は急にいたたまれなくなった。
その日は6月25日。義父に月一度送る便りを書いたのはわずか10日前のことである。
その礼が夫のスマホに残っていた。
これが義父からの最後の音信となった。初めての病院通いとは、白内障手術後の経過観察のことだったろう。
夫を見送ると、私は突然、無性に娘に会いたいと思った。
私の動揺を娘に癒して貰おうなんてずいぶんな話だが、平静を装って電話をしてみたら すぐに出た。
「Tさんのお父さんが亡くなって、しばらく留守なのよ」
そう言うと
「今日は予定ないよ、来る?」
と、話が早かった。
そそくさと車を走らせ、娘のマンションに行く。
盛岡に住んでいた頃、よく行っていた店に娘と連れだって出掛け、懐かしいパスタを食べた。
娘の買い物に付き合い、いつも通りのホッとする時間を過ごしていた。
娘を送り届ける途中、夫から電話が来た。
車載の機器でフリーで会話が出来るのだが、娘にも全部聞こえる。
死因はわからず、布団の中で亡くなっていたこと。
前日までグランドゴルフをしてとても元気だったこと。
長く飼っていた犬が最期を看たらしいこと。
近所の人が何かの用事で訪ね、そこで異変を感じ早く発見されたこと。
検案があるが、警察医がたて込んでいるので、遺体はしばらくの間警察の預かりになり、葬儀日程を決めるのはまだ先になること 。
私は
「そうなの」
としか返事できない。かける言葉がやはりないのだ。
夫は続ける。
「それがさ、厄介な近所のSさん夫妻から物凄く労わられてさ…」
詳細はここには書かないが、夫が家を出てからも、実家の事、離婚して母親の元にいる娘ふたりの養育のこと、つまりはお金の話なのだがそれを続けてきたことなど、
「どれだけ大変だったか」
「胸張って帰ってくれば良いんだ」
夫は、電話の向こうにまさか私の娘がいるなど思いもよらないだろうから、感に堪えないといった口調で話し続けた。
そうか、棄ててきた故郷でも、優しく迎えてくれたのか…。
「仏壇に…」
私が送った手紙がきちんとまとめられ、綺麗な箱に収められて供えてあったという。
「オヤジは 、嬉しくて人にも話してたんだろうな」
「私は何もしてないよ、あなたの代わりをほんの少ししただけだよ」
もうあとは何も言えなかった。