埃の色 |  お転婆山姥今日もゆく

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 人間未満の山姥です。
 早く人間になりたい。

一昨日、月曜定休の息子夫妻がふらりとおはぎに会いに来た。
昼前で、のんびりした顔だったので
「今日は片付け休みだな」
と思っていたら
「やります」


息子たちは、昼、どこかで食べて午後から片付けの仕上げに取り掛かろうとワタシを迎えに来たのだった。

私は若夫婦のために前日からグリーンカレーを仕込んでおいたのだが、久々のグリーンカレーは暑熱の中では実に美味しく、辛いのはちょっとと言いつつ夫も食べ、朝、蓋を開けたら
「足りない・・・」


特に何も連絡はしていなかったので、グリーンカレーはどうでもいいのだが、そういう何もない時に限って来たりする。
私はその時鍋の底に残ったグリーンカレーの最後のカスを冷や飯にかけて、ズズズと食べていたから余計に間が悪い。


「アナタタチ、どこかで好きなもの食べなよ、ワタシ、アイスコーヒーだけでいいからさ(^_^;)」

で、息子がお気に入りの喫茶店でYちゃんが頼んでいたランチセットは美味そうだったが、いくらずうずうしい山姥でも
「ひと口頂戴」
とは言えないのであった。


息子の話では、
「今日で終わりにする」
終わるかいな・・・と思ったものの、終わっても終わらなくても終わりということにするんだな、ということにした。


屋敷に行ってみると既に解体業者が下準備に来ていた。

住宅メーカーの営業さんも片付けの手伝いに来てくれるという。
「そういうのっていつもやるんですか?」
と後で聞くと、
「しません」
ということで、どうしてだか知らぬが、息子には何となくやってあげたくなるんだそうだ。
わざわざクソ暑い中、ご苦労でありがたいことである。

解体屋さんが入り出すと、
「そこそのままでいいよ」
と言ってくれるのだが、ラッキー♡そのままでいいんだって、とテキトーにしておくとあとで処分費がちゃんと請求されるのだそうだ。
営業さんは
「とにかくお金がかからないよう」
考えてくれているようなのだが、若造の我が息子が家を建てる事情が稀有な話で、片付けも休みを潰してやっているのと、実際屋敷の様子を見た以上放っておけなかったらしい。

だいたい大物は片付いたと思っていたら、屋根裏が残っていた。
そこは私も入ったことがなくて、中がどうなっているのか知らない開かずの間であった。
先日若い叔母から聞いて判明したのだが、築100年の屋敷には「産室」があったそうだ。昔はお産が不浄なものという位置づけで、また、自宅で出産がほとんどだったから、人が出入りしないように上に設置したのだそうだ。
戦後は
「待合」
として使ったこともあるそうで、
「待合って?ラブホみたいなの?」
と魂消る私に
「そうだよ、某銀行の支店長さんが上得意さんで」
「ひぇぇ!」
「門から入って、飛び石歩いて、表玄関が奥まってるでしょう。まさか待合なんて誰も思わない、穴場だったんだってよ」

いつまで続けていたか知らぬが、その後伯母が嫁に来て一時助産所としても使っていた二階と屋根裏。

「どうなってんの?」
「私も知らないんだよ・・・」

恐る恐る開けると暗い。ごくごく細く外の明るさが見える。足元に何があるのかわからぬ。
奥行きもかなりあるというより、屋敷の幅だけ屋根裏であった。そして人も立てる高さである。
一番近い明かりのところに這うようにしていくと、雨戸になっていてがらりと開けると明るさと風が流れ込んできた。

「ほー、とりあえず開けるだけ開けよう」

雨戸を全部開けるとあるわあるわ・・・昔のもの。
大量の火鉢。
大きなエジコ(
嬰児籠)
炭入れ
葛篭
・・・

とにかく使わなくなったものを次々とここに押し込んであった。

私たちは無言で運びだし、火鉢の灰を捨てていると丁度土砂降りの雨が来て、舞い上がらずに済んだ。

産室だった部屋には、またしても寝具が詰め込んであり、それも無言で運びだした。


いつ以来か知らぬが、陽の光を浴びたそれらは色を失くしたようにすべて土気色というか、埃の色というか・・・。

この日で終わるハズだったが、息子は
「よし、あと一回、来週は朝からやる!!」

暑くて疲れたと言いつつ、きっぱりと言うのであった。