レースクラブの思い出 | オタントニオのブログ

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趣味は車、レース観戦、ラノベ、アニメ、小説、ゲームなど。発達障害当事者で、当初ADHDだと思われていたが後になって「特定不能の広汎性発達障害」と判明。

昨晩のラブライブ!2期の11話(3年生が卒業したらグループを解散するかどうかを涙ながらに決断する話)を見てたら、中学の時に俺が卒業して無くなった部活があったことを思い出した。

その部の名は「レースクラブ」。

中学2年のときに俺が立ちあげた部(とはいえ学校からは非公認)で、自分の足で走る「中距離走」をメインとし、川に浮かぶ物を流して流れる速さを競う「川レース」、F1などのモータースポーツを見て知識を語り合うなどの活動を放課後にしていた。

なぜ陸上部に入らなかったのかというと、入れなかったのだ。中2のとき、陸上部に既に居る面々を見ると、入部すればいじめの対象になることが明らかだった。

入れなければ作る。そして、一度決めたら止まらない。それが俺の昔も今も変わらない性格だ。

友人を中心に少々強引な勧誘を行い、メンバーは5人くらいになったと思う。とはいえ、毎日放課後に中距離走の練習をしているのは俺1人だった。

表向き所属している卓球部に行き、卓球部が終わればレースクラブの活動(中距離走の練習)を始め、疲れ果てて帰ってプレイするゲームはレースゲームのグランツーリスモ2。車やモタスポの書籍を眺めてはレースの知識を培う。そんな中学2年の日々だった。

そんな日々の中、部活として試合を行いたいという想いに駆られた。が、非公認の部で陸上の大会に出ることなど当然できない。

悩んだ末に出た結論は、「他の部活と中距離走で対決することを試合としよう」というものだった。

そしていつしかメインの活動内容は卓球部の校外走で勝負を挑むというものに変わり、卓球部が水曜・金曜にやっている校外走に参加しては試合気分で上位完走を目指して走っていた。

俺自身、足は途轍もなく遅かったのだが、遅いからこそ競走を楽しんだ。つまり車のレースで例えると「ビリが当然の劣るマシンで少しでも前を走り、光るところを見せる」という楽しさがあったのだ。

そんな部活の日々は非常に充実していた。

当時は卓球部に居た後輩をレースクラブに引き込んだりして、下級生も名義上は入部していたのだが、本気で活動に勤しんでいたのは俺1人だっただけあり、俺が3年生になり部活を引退すると活動実態はなくなり、そして俺の卒業と同時に部活はあっけなく消滅してしまったのだ。

μ'sとは違い、誰からも愛されなかったスクールレースクラブの活動と解散。その思い出は今、恐らく俺の中だけに留まっている。