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癒快家の開業のチャンスをくださった恩人の不動産屋さんに面白い話を聞かせていただきました。

「部屋探し」でもっとも大切なこと。
それは「帰って来たい家を選ぶこと・・・」
様々な条件、環境や日常があるなかで、それでもがんばれる根底になる住まいでなければ生活に支障をきたしてしまうのだと。

なるほどです。

せまい、遠い、うるさい、高い、住まい選びでふるいに目をつむらなくてはならない要素というのは少なからずあるはずですが、選択の根底に「帰って来たい家かどうか」という判断材料が有ると無しとではまったくちがった日常の生活になりそうです。

住み心地のよい部屋、便利のよい立地、充実の設備etc・・・何をもって「帰ってきたい」かは人それぞれでしょうが「今すぐに逢いたい人の待つ部屋・・・」なんてのがすてきですよね。


さてさて

「家」という字。癒快家(ゆかいや)の屋号にも使われています。

「屋」にするか「家」にするか、はたまた「癒快」にするか・・・
そんなに悩まずにインスピレーションで「家」を選んだのは、この整体院が「家」のようであって欲しいと思ったから・・・。

例えば、私やスタッフにとって「家」で有ってほしい。みんなが家族の様で有ってほしい。そんな願い。
例えば、独り暮らしの方にとって「人との繋がり」を感じられるような「ただいま~」「おかえり~」なんて言い合えるこころと身体にとっての「家」でありたい。そんな願い。

例えば、長くこの町にお住まいのご家族にとって「家族のように」お付き合いしていただけるような「家」でありたい。そんな願い。

「この町には、この家には何かが足りない」そんなふうな思いがあって、もしそれが「帰ってきたい」と思うに足らないものだとしたら

癒快家に「帰ってきたい」そんなふうにおもってもらえたらな。なんて願い。






もしも、もしも、なんでもそろった西小山の町に、あなたに「帰ってきたい」と思わせるに足らない何かがあったなら、それはTUT○YAでもBOO○ OFFでもユ○クロでも富○そばでも無くて・・・

癒快家だったりするのかも









なんてなwwww
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つながるということは生きるということ


こんなキャッチフレーズを冠した取り組みがあるのをご存知ですか?


リレー・フォー・ライフ・ジャパン http://relayforlife.jp/

がん患者と家族、あるいは遺族を支えるための活動です。
悪性リンパ腫という病魔で実の兄を亡くしたわたしは昨年ひょんな繋がりから知るに至りました。
当時品川のサロンにお越しいただいた方が応援してらっしゃるアーティストさんが関わってたことがきっかけです。

繋がるということは生きるということ

人との繋がりを商いにしている私にとって非常にこう・・・何と言いましょうか・・・「しっくりくる」そんなふうに響いた言葉でした。

私がいま療術家として生きているのと兄との死別は深い関わりがあります。


兄が亡くなる十数時間前。
私は真夜中の新宿を走り兄のICUへ向かいました。
兄が最後の闘いに入るまえのお正月。20日間ぶりでした。3年間の闘病生活の間、わたしが兄の病室をおとずれたのははじめて。
理由は二つ。兄の闘いを支えるために私が兄の仕事を引き受けたから。
病室で兄に会えば……、いつか現実になってしまう気がしたから。

意識が混濁した危篤状態。兄が最後の奇跡を見せる。

義姉の『あきちゃん。まあちゃん来てくれたよ。分かる?まあちゃん来てくれたよ。』の呼びかけに

悶絶と嗚咽しかあげられぬはずの状態の兄が
『まあちゃん。ごめんねえ。ごめんなさい。もう良いんだよ。まあちゃん。自分の好きなこと。頑張って。ごめんね』途切れ途切れ。焦点の定まらないまま私に告げる。最後なのに。これが最後なのに私に謝ります。

『気にすんな。どってことないさ』

そう言って私はICUを後にします。兄の代わりに闘ってきた、レストランのファイナルのオペレーション。私と兄のもう一つの最後の闘いのために。


まあちゃん←私の好きなこと。サッカーに明け暮れた少年時代。スポーツ障害で競技者生命を絶たれた経験を持つ私は療術の世界を目標にしていた。レストランで兄を手伝いながらスクールに通い、またはWワークに従事した。

兄が入院し悪性リンパ腫の診断を受け、長くて短い闘いに入ると決まった日。私は私の心に蓋をして私を殺した。兄のために出来ること。それが私の全てだった。料理に関して天才だった兄の仕事を引き継ぎ毎日ただただ必死だった。出来ないことの多さに愕然とする毎日だった。


闘病中まだ元気だった兄と酒を交わしたことがある。そのときに『政史さあ、なんだかんだ言って優しいじゃん?向いてるよ。マッサージの仕事。
俺はホラ、料理好きだし料理しか出来ないしね(笑)こんど退院したらさ。マッサージやんなね。でもさあ、料理嫌いになるなよ』
天才料理人の兄は実は保育園の保父さんになりたかった。料理同様に子供が大好きだった。

もし今、私がいち療術家として癒快家のいんちょに就いているのに理由や必然がいるとしたら、兄の遺言がその全てです。








そんな私が癒快家での縁有って出逢った一冊。

『がんの痛みを癒す』http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/409387140X/mixi02-22/



個人的にいつかはまた癌と戦う方々の、また携わる方々の営みに関わりたい。

漠然と思いながら自分を信じ支えてくれるスタッフの営みや大切な存在のための毎日を送りながら

『つながるということは生きるということ』やはりまたこうして廻り廻る運命を感じ、今現在の日常の先ににあるものをしっかりと見据えることができた本です。








失った方々、失われてしまう方々にぜひおすすめしたい良書です。

この本で出会ったコトノハ

『“Not doing but being”何かをするのではなく、そばにいること』






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稽古とは一より習ひ十を知り十よりかえるもとのその一


こんど若い子らに話してあげようかと思う千利休の短歌です。どどいつか?

16から社会に出たのでそれなりに人材教育の経験も培ってきました。

ここ数年は責任職から敢えて遠ざかっていたためできる限り指導や教育からは離れていたかったし、複数の業態を股にかけてきた不埒者ゆえん、それぞれを専門に人生を歩んで来た先達者の諸氏らに僭越を働きたくない。

の想いが根本に有ったのですが、年長者の責任は自然と感じるべきなのかなあ?仕方ない。とはうっすら思っていた日々。

立場も変わり、「責任」が自分を動かす原動力になっている「いんちょ」としての毎日。

苦言を呈する。人間ひとりを育てる。と言うのは大変なパワーを要するもので、

タイミング、段階、流れ。相手の心理状態を分析出来なければ単発の小言に終わってしまいます。

むろん。『自分が育てた』などと言うのは甚だしい思い上がりで。

人間は様々な出会いや経験で育っていきます。

私自身が『あの頃、あの方に言われたおかげで成長できた』と思うことが多々あります。

私なんぞはしょせん北区王子の跳ねっ返りのチンピラが呑気にバブルな世の中に飄々と飛び込んだクチですから。
そういった人々の教えが無ければ、とんだごくつぶしに成り果てていたにちがいない類いです。

そんな方々への恩返しの気持ちで若い子らに伝えていかなければならない頃合いなのでしょう。

ただ淡々と伝えていく嫌われもし、裏切られもするのでしょう。実を結ばないことが大半でしょう。
それでもただただ淡々と伝えていく。

私を育ててくれた方々は偉大だな。と改めて感じます。

最近の若い衆は~……。


そんなことを感じる歳になったんですかね?

なんせい社会人19年目にもなりますし(笑)