台風被害のフィリピンに自衛隊員派遣と物資供与へ
 政府はフィリピンの台風被害への対応として、フィリピン政府側の要請を受けて自衛隊を国際緊急援助隊とし..........≪続きを読む≫


台風30号により未曾有の大災害に見舞われたフィリピン。

現地では暴徒が略奪をはたらきだし治安も悪化。切ないけどこれは災害時では想定内のことなんだよなあ。日本がちがってたってだけなんだよね。

一刻も早く、一人でも多くの生命が救われて欲しい一心でさっそく募金を試みたわけですが。。

こういう時にどこに送るべきなのか??非常に迷いますよね。

消去法でいくと
・アグネス・チャンのインチキ日本ユニセフ協会(いわゆるUnicefとは全く無関係の団体です)
・東北大震災の時に多額の募金を一年間放置した日本赤十字
・心意気は買うが実行力に疑問符のつくNGO団体
・そもそも得体のしれないNGO団体

ここいらはパスだな。

っていうのと

・安心安全 黒柳徹子のほんまもん Unicef
・国際赤十字
・赤十字国際委員会
・国境なき医師団

これらは常に国際紛争や災害に対して恒久的に活動しているから直接この局面でフィリピンに反映するかは別なハナシだよな。

っていう浅い深読みから

フィリピン大使館に直接送っちゃおうってことにしました。わずかばかりではありますが・・・。

http://tokyo.philembassy.net/ja/events/help-for-super-typhoon-yolanda-victims/

ただね。
途上国、後進国の官吏の事情は日本や先進国とはまた違うから考えたくは無いけど不正を働く役人もいるかもしれないぞ。そんな意見も拝聴しまして。。
そんなんもう信じる以外に無いと思うんですが・・・。

上記のHPにも有るように例えばフィリピン現地の赤十字、Unicef、国境なき医師団に直接クレジットカードやペイパルで送金できる口座も有るようです。

必要な場所に不足なく迅速に基金や物資が届いてくれれば何でも構わないわけで、それを切に願うばかりです。

こうゆう時の周辺諸国へのサポートって日本人の役割と言ってもいいとおもうんですよ。

それに我々もフィリピンから援助して頂きましたし。
収入も日本の6ぶんの1とも10分の1とも言われています。そんな中から3・11では3億円ほどの援助を頂きました。

こんな時こそ倍返し、十倍返しといきたいところです。

虐待を受けた子ども視点の歌詞が賛否両論 有線で放送見送りにもなった楽曲「ママ」が物議
 10月2日に発売したシンガーソングライター・文月メイさんのメジャーデビューシングル「ママ」が、虐待..........≪続きを読む≫


こうゆうのね。
賢い整体師さんや賢い経営者さんはわざわざ首突っ込まないと思う。

ただ僕はご存知のかたはご存知のように売ってるキャラがかなりアレなもんで。そのうえカシコとは無縁の生い立ちなんでわざわざ首突っ込んじゃうんです。こうゆう場で。

 虐待問題ってのは根深くておいそれと触れるべきでは無いものだと思う。ただね、ややこしいから放送しません蓋をしますっていうステレオタイプな対応はもっての外だと思う。
 虐待問題の扱い自体は慎重であるべきだけれども、問題の根底がドメスティックな閉鎖状況にあることからしたら常に世に注目され続けなければならないんじゃないかな?そりゃあ飲食店なんかで無防備にこの楽曲を聞かされることを想像したら確かに気分のいいモノではないけども。それでも賛否の是非はオーディエンスに委ねるってのは発信する側の義務だと思う。

 少なくとも虐待を無くしたい。っていうことに軸足があるいじょう、このような形であれ注目され取り上げられたってこと自体は意義があって評価に値すると思うのです。




 

 で、肝心の楽曲に関してのいちオーデェンスとしての感想は?って言うと僕としては甚だしく否だよねって立場です。
 
 確かに確かに。加虐待者に如何に刺さるか?ということを念頭にしたアプローチなんだろうなってのは読み取れる。綺麗な曲調と綺麗な言葉とお花畑のようなストーリーで刺すこのツクリは北風と太陽のように加虐待者に優しく深く刺さるだろう。

 ただね。いま現在この時に虐待に苦しむ子どもたち、虐待を耐え抜き生き延びながらも今なおPTSDと戦っている人たち、今さらAC(アダルトチルドレン)に気づけず藻掻く人たちにしてみれば、心を殺され生命を殺されてもそれでもなお許しを請わなければならないのかと絶望する「死の宣告」のような歌詞だと思う。

 この文月メイなるアーティストは「本当の愛」や「きづき」を伝えたいらしい齢(よわい)27歳にしての「本当の愛」の具現者なようだけど、どうなんだろう?少なくとも僕の立場ではこの楽曲では羽の一枚ほども「本当の愛」は表現されてないと感じる。それは具現者としての力ではなくアーティストとしての表現力の拙さってことなのかな?

 ほんわかとぼやかす様なキャラでも無いんであえてくっきりと言ってみました。

 まあ勝手気ままに切っては見たもののお母様方からは是な意見、感想も多く聞かれる「子育て中の身から見ると、こんなにひたすらに子が母親を慕うものなら私頑張らないと、と、日頃一対一で時にイライラする身としては反省させられる歌詞だったりします。」っていう方も実際にいらっしゃった。こんなふうに見方や立場、状況が違えば抑止になる面も有ろうかとも思います。

 こうやって議論の対象に上がり続けること自体が虐待の抑止力になるのは明らかでその意味でUSENの対応は残念。

 皆様なりのお立場でこの楽曲はどう聞こえるのかな?この問題をどう捉えるのかな?

議論されること自体に意義があることがある。ってことで話題にしてみた今日のいんちょーでした。



本当に届くべき人に届いてくれることを切に願うものでも有ります。





 
今日お客様から聞いてはじめて知ったのですが、最近は絵の具やクレヨンなんかで「肌色」っていわないんだそうで。
 
なんでも有色人種への配慮から欧米では「ペールオレンジ」、日本では「うすだいだい」と変更されたらしいです。

きっと有色人種の方々は「肌色」っていう単語に不快な思いや嫌悪感を抱いていたんでしょうな・・・・・
って・・アレ!?アレアレ!?おれそういえば黄色人種だけどっっ!!??

気づかなかった!36年ずっとこのかた「肌色」になんの違和感も不快感も覚えなかった!黄色人種にあるまじき無頓着!おそるべき「名誉白人」とか言われてまんざらじゃなく感じちゃう国民性ww

んーー先進国の文化水準が高まり、作今とりわけ人種差別に対する意識というのはとても成長していうと思います。でもまだまだ根は深く蔓延るのですが・・。いんちょも差別撲滅の精神はもちろん強く感じているのですが、この「肌色」の話題。なんかしっくりこないんですよね。なんでだろうか?

「うすだいだい色」の響きによそよそしさやぎこちなさをなんとなく感じてしまうからかなあ・・

そこでなんですが、

「てのひら色」ってゆうのはどうでしょう?

あんま変わんない→みんないっしょ

なんか良くないですか?
「てのひら」ってゆう語感もはんなりしていてなんだか優しそうだし、差別反対の精神からして趣旨に沿っているんじゃなかろうか?



そんなことを思ってみたイカつい顔と優しい手を持つ今日のいんちょでした。。