年をとったと感じる瞬間 ブログネタ:年をとったと感じる瞬間 参加中
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稽古とは一より習ひ十を知り十よりかえるもとのその一


こんど若い子らに話してあげようかと思う千利休の短歌です。どどいつか?

16から社会に出たのでそれなりに人材教育の経験も培ってきました。

ここ数年は責任職から敢えて遠ざかっていたためできる限り指導や教育からは離れていたかったし、複数の業態を股にかけてきた不埒者ゆえん、それぞれを専門に人生を歩んで来た先達者の諸氏らに僭越を働きたくない。

の想いが根本に有ったのですが、年長者の責任は自然と感じるべきなのかなあ?仕方ない。とはうっすら思っていた日々。

立場も変わり、「責任」が自分を動かす原動力になっている「いんちょ」としての毎日。

苦言を呈する。人間ひとりを育てる。と言うのは大変なパワーを要するもので、

タイミング、段階、流れ。相手の心理状態を分析出来なければ単発の小言に終わってしまいます。

むろん。『自分が育てた』などと言うのは甚だしい思い上がりで。

人間は様々な出会いや経験で育っていきます。

私自身が『あの頃、あの方に言われたおかげで成長できた』と思うことが多々あります。

私なんぞはしょせん北区王子の跳ねっ返りのチンピラが呑気にバブルな世の中に飄々と飛び込んだクチですから。
そういった人々の教えが無ければ、とんだごくつぶしに成り果てていたにちがいない類いです。

そんな方々への恩返しの気持ちで若い子らに伝えていかなければならない頃合いなのでしょう。

ただ淡々と伝えていく嫌われもし、裏切られもするのでしょう。実を結ばないことが大半でしょう。
それでもただただ淡々と伝えていく。

私を育ててくれた方々は偉大だな。と改めて感じます。

最近の若い衆は~……。


そんなことを感じる歳になったんですかね?

なんせい社会人19年目にもなりますし(笑)