あくまでも私に対してのことで、他の人に対してのことではないが、
惜しまれて死ぬよりも、
「あいつ死んだよ★」とか、誰かがfacebookとかに書いたら、
「いいね!」連発されるような終わり方が「いいね!」と思う。
「生きたい放題生きやがって♪」というのが最高の回向文だ。
どの段階で死ぬるんかは分からないが、
たぶん、ちゃんと生ききってから死ぬつもりだから。


生死の円環のなかで。

人は生き、人は死ぬ。

しかし、「死」がいつかなど、誰がわかるのだろうか。

もしも今日、あなたのお相手が死ぬと分かっていたなら、
あなたはお相手にあんな言葉を投げただろうか。

もしも今日、あなたが死ぬと分かっていたなら、
お相手から「された嫌なこと」を数えるだけの一日を過ごしただろうか。
「していただいたこと」に感謝する日にならなかっただろうか。

死を感じて生きるということは、
陰気に、ネガティブに生きるということではない。
死を感じて生きるということは、
いまこの一瞬一瞬を、愛おしく大事にしながら生きること。

わたしは、そう思います。

2016-1-7
ご担当の患者さんの
旅立ちに際して

ある日、あるショートステイにお邪魔したときのこと。
ご利用者さんたちは、偶然、皆さん女性でした。
皆さん、塗り絵したり折り紙したり、パズルしたりと、各々、まったり過ごしていました。
私は特になにをしていたわけではなく、皆と同じテーブルに着いて、折り紙をしていました。
スタッフさんが、DVDをかけました。文部省唱歌などのコンサートでした。
何人かのご利用者さんが、顔を上げずに、自分のやっていたことを続けながら、
DVDの音に合わせて、歌を口ずさみはじめました。

それを聴いていて、なにげなく顔を上げ、彼女たちを見たら、不意に涙が溢れてきました。
なんというか、とても美しかったのです。
しわくちゃばーちゃんたちで
「おっぱいなんか、びろんびろん」とかいうし、認知症が相当程度進んだかたもいます。
でも、そこにあるいのちは透明で美しかったのです。
そして、彼女たちの若い頃の姿まで、見えたような感じがしました。
若い姿が美しいのではなく、いまの姿があまりに澄んでいて、
その光の中に彼女たちのたましいの素の姿を観たのかもしれません。

ありふれた話なので、何処かに書く気はなかったのですが、
ある人にポロリと話したら、文章化しなさいということでしたので、
書かせていただきました。ありがとうございます。とくに、婆様たちに。