無私、献身、無欲、利他etc.
いろんな用語などどうでもいいが、
自分のためではないようなことばかりやっていると、
思いだす言葉。
「人のために尽くしていると、自分のための人生が送れない」

そうかもしれない。
確かに自分の真ん中は、
なんとなく空っぽだ。

「我」の部分が空っぽみたいだ。

でも、それもまた、
私の人生であるはず。

空っぽだけど、
私は私の人生を生きている。

それが私のためになっているかどうかなど、
どうして考えなければならないのだろう。

それは、それほど重要なことなのか?

 

 

 

2010-04-09 17:43:

わずかな祈り

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みなが、自分の人生の主人公になれますように。
誰かが、誰かを虐げることのないように。
あなたが、誰に対してもちゃんとありがとうといえるように。
いまは、たったこれだけを祈りたい。

入院中のこと、Aさんの退院

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ついにこの部屋で最古参になった。私より二日前に入院したおじいさんが退院したからだ。お昼時、そのおじいさんが私のベッドを囲むカーテンの前に歩いてきた気配があった。
「太田さん…」
「はい。Aさん?」
「はい」
カーテンから私は出た。とても小柄なAさんが立っていた。
「きょう退院します」
私は体調が悪く、寝ていたのだが、Aさんのさびしげな表情にはっとなった。
「太田さんにはお世話になりました。ありがとうございます」
お世話など…。いちど、夜中にAさんがベッドからずり落ちているのを見つけ(そのとき、Aさんは自力で起きられなかったから、ナースコールもできなかったのだろう。どのくらい、その姿勢でいたのか…。Aさんは顔をしかめていたが、私を見るなり、媚びるように笑った。その笑いを私は最初、イヤなものだと思ってしまった。私は私の無知を恥じた。Aさんは、そうして生きてきたのだ。評価をする権利など私にはないし、よく見ると、愛らしかった)、抱え上げた。
ナースコールをする前に行動してしまった。
もちろん、ナースコールはしたが、すぐに来るわけではなく、Aさんの苦しい姿勢をなんとかしたかった。
それから、ここのナースは気の利かない人が多く、Aさんのベッドのカーテンを開けっ放しで去ってしまう(監視のため?)。でも、Aさんは廊下側。廊下をゆく皆に見られる。とくに、食事のとき、Aさんは見られながら食べたくないといっていた。しかし、そのころAさんは自力では動けないから、カーテンを閉められない。だから、わたしは食事のときに、通りがかって、カーテンを閉めただけだ。
「太田さんも、早くよくなって、退院してくださいね」
ふいに、Aさんがそんな言葉をかけた。
とても情のこもった声だった。
Aさんの言葉は、倒れそうな私を支えた。掬(すく)ったのはAさんだった。
.
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Aさんはアパートで独りくらし。家族はいない。この先、介護サービスに支えられて、生きていくという。こういう高齢者が、この地域にも多い。
私は、退院してからAさんを訪問したい衝動を抑えながら、病棟一階へ降り、タクシーに乗ったAさんが走り去るのを見送った。
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泣きそうだった。なんだ、この寂寥と愛着は。
見送りの若い看護師が「なんでこの人、見送ってんの?」という視線を私に投げた。
入院し、心も身体も折れるとき、ほんの小さな親切や言葉がけが、どれだけ支えになるか、あなたは知らないのだろう。
もちろん、エネルギッシュな励まし、助けなどは不要だ。

あたたかい光

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おはようございます。
雲がかかっていても、
雨が降っていても、
室内にいても、
屋外にいても、
あたたかい光が
あなたとわたしに届きますように。