仏教を学ぶということは、自己を学ぶということ。
すべての飾りも鎧も理論武装も権力も地位もフレームもはがして、
いのちのままの自己、いいところもわるいところもそのまま、
ありのままの自己に向き合うこと。
自己の物語の読者になること。どんなときでも。
どんなに醜くて辛い物語でも、
読者を辞めない。それは、時に辛いです。
そんなに楽ではないかもしれない。
だけど、そのぶん、成長する。
反省すべきところは反省しつつも、自己を承認してあげること。
仏教を学ぶということは、自己を学ぶということ。
すべての飾りも鎧も理論武装も権力も地位もフレームもはがして、
いのちのままの自己、いいところもわるいところもそのまま、
ありのままの自己に向き合うこと。
自己の物語の読者になること。どんなときでも。
どんなに醜くて辛い物語でも、
読者を辞めない。それは、時に辛いです。
そんなに楽ではないかもしれない。
だけど、そのぶん、成長する。
反省すべきところは反省しつつも、自己を承認してあげること。
死者と生者を分けて考えない。
死者の成道を祈るなら、
等しく生者の成道を祈る。
浄土と娑婆を分けて考えない。
浄土を大事に思うなら、
等しく娑婆を大事に思う。
自と他を分けて考えない。
自の仕合わせを願うなら、
等しく他の仕合わせを願う。
辛く悲しく、耐えられないことに遭遇するとき、
己の不運を嘆き、「なんで私がこんな目に?」と
落ち込んでしまいがちですが、
「私だからこそ、この役目を背負わせて頂けるのだ」と
意識が転換したとき初めて、潜在能力が発揮されるようです。
いのちそのもののちからなのかもしれませんね。
ノーベル賞を取れない人生だったかもしれない。
けれど、あなたのいのちは唯一不二。
輝いていました。