一月の閑話休題です。

 

2024年1月のテーマ

「時代小説でありファンタジー!王朝小説」

 

でおすすめしてまいりました。

正直、ライトノベルの王朝小説もので候補がいくつかあったんですが、大河ドラマを観ておすすめする本の方向性が若干変わりました。大河ドラマのストーリーに関しては、私のイメージからは外れていてちょっとどうかと思ってはおりますが、自分がお勧めした本を振り返ってみても、平安時代をドラマなり漫画なり小説なりで描くときには良くも悪くも自由度が高いのだと感じずにはおれません。

その自由な部分で作り手の個性が際立つのだろうし、読み手との相性もまた、両極に別れやすいのではないかと思います。

 

さて、タイトルの件にまいりましょう。

下記の記事でも触れたのですが、昨年12月にNetflixで夢枕獏さんの「陰陽師」シリーズ原作のアニメが配信されまして、それを観て考えたことを書きたいと思います。

 

 

ざっくり言うと、過去に実写映画化されたものを観た時にも、小説との違いがいろいろ気になってしまったのですが(実写のドラマ版は観ていませんが)、やはり今回もアニメと原作の違い…というよりもアニメのキャラクターデザインと小説を読んだときのイメージとの違いが気になってしまい、去年の映画「ベネチアの亡霊」を観た時との差って何なのかなと考えてしまったという話です。

 

 

まず、アニメの何が小説のイメージと違っていたかという話からしたいと思います。

 

・主人公の晴明博雅が若い。

・晴明の耳がとがっていて狐っぽいデザイン。原作の晴明は精神的にすごく落ち着いていて老練な感じがするが、アニメ版では冷静沈着だがまだ未熟という感じ。

・博雅は善良そうではあるが平凡な感じ。原作の博雅が持つ雰囲気…"よい漢"という表現がぴったりくるほどの素直さや優しさは感じられなかった。

蜜虫、蜜夜が少女に(原作では唐衣を着た女性)、蘆屋道満が若い女性に(原作ではかなり高齢の食えない爺)、と変わっていた。

・妖と闘うシーンが結構あって、清明や博雅が走り回っているのが、原作の持つ静謐さと違う気がして私の中では相いれなかった。

・清明は孤独な天才で、博雅は彼を受け入れられる器を持った親友。二人が互いの友情を再確認するストーリー展開は、あからさますぎて、若いな~と思ってしまう。(実際に、キャラクターの年齢設定が若いんだと思う。)これが、原作に比べると野暮な気がしてしまう。

 

…と、ここまで書くとかなり不満たらたらだったのね…と思われますよね。

原作とは雰囲気からしてだいぶ違っていたので、あの雰囲気が好きな私としては、確かに不満でした。

 

ただ、私は今挙げた特徴を持つ安倍晴明ものの漫画を、かつて読んでいたことがあり、すごく好きな漫画だったのです。

その漫画とは、

 

「王都妖奇譚」(全12巻)

岩崎陽子 作、プリンセスコミックス

1990年~2002年まで連載

 

です。

 

古い漫画なので紙媒体のものは今手に入れるのが難しいかもですが、電子書籍もあると思います。

私にとっては、夢枕獏さんの「陰陽師」よりもこの漫画の方が、アニメの晴明と博雅に近い気がしています。

妖とバトルして二人とも走ってばっかりだし、ポーカーフェイスだけど時々考えすぎの孤独な天才・清明と、有力貴族なのに単純で猪突猛進な藤原将之の関係性がなんとなく重なるんですよね。

エピソードなんかは全然違いますし、漫画の方は作者自身もあとがきで書いておられますように服装や習慣などはかなり時代考証無視なんですが、少女漫画なのに恋愛要素ほぼなしで妖怪とのバトルと男の友情を描いていて、線が太く美しい絵が好きでした。

Pickで貼った三巻の表紙絵で手前の弓を構えているのが将之です。

平安貴族なのに鎌倉時代や室町時代の武士みたいな恰好をしています。

懐かしのアニメ「一休さん」の新右衛門さん(わかります?)に格好が似ている…独り言です。

後ろのロングストレートをなびかせているのが晴明。

 

…というわけで、アニメとしては、原作と比べると違いが気になって不満を感じるのですが、「王都妖奇譚」がこんな感じだったと思うと、安倍晴明もののエンタメとして私の中では"アリ"なのか"ナシ"なのか決めかねてしまってなんとも落ち着かない気分になってしまうのです。

 

小説が原作ということもあって、ビジュアルのイメージは人それぞれですしね。

でもやっぱり、たとえ私の中で安倍晴明もののエンタメとして"アリ"にしたとしても、夢枕獏さんの「陰陽師」ではないと思います。

 

以前、映画「ベネチアの亡霊」の記事を書いた時の言葉でいうと、夢枕獏さんの「陰陽師」を下敷きにした新作…という感じでしょうか。ただ、ポアロの映画と違っているのは、作者が存命で、シリーズも続いているということです。

夢枕獏さんが自分の作品を下敷きにしてあればあとはお任せするとおっしゃっているのなら、それはそれでありかと思いますし、もし作者の意に反して様々な改変がされているのであれば、作者や作品へのリスペクトに欠けていると言わざるを得ません。

でも作者がどう思ったかというところは、観ている人にはわかりません。わからないけれど、「陰陽師」が好きな私にとっては作者や作品がリスペクトされているかは大切なことです。

 

映画「ベネチアの亡霊」を観た時に感じたようなファンとしての高揚感・新作を待ちわびる気持ちを感じることができなかったのは、原作との違いを感じた時に「これって変えてあっていいのかなあ…」と頭の隅で考えてしまう自分がいたからのような気がします。

 

本当につい最近、"実写化する際の原作からの改変"を原因とする不幸がニュースになり、その問題について議論が巻き起こっています。

映画「ベネチアの亡霊」のポアロを受け入れている自分と、アニメ「陰陽師」をストレートに受け入れ切れていない自分との違いは何なのかと考えずにはいられません。そこが不明確だと、"改変問題"に関しても意見を言う資格がないように思えてしまうのです。(いや、意見を言いたいわけではないですが、本好きとしては無関係な問題ではないですから。)

記事を書くことにより、私が"割り切れなく感じている何か"の正体が少し見えてきた気がするのですが、まだ形になったとまでは言えないようです。

上手くまとめられずにすみません。

ここまで脳内の一人語りにお付き合いくださってありがとうございます。

 

さて、来月のテーマとまいりましょう

 

2024年2月のテーマ

「モヤモヤしたときにいいかもな本」

 

でおすすめしたいと思います。

今の私がもやっとしたものを抱えているからというわけではありませんが、前からおすすめしたいなと思っていた本が何冊かあり、それらが私の何に効いたかというと"モヤモヤ"だったので、こういうテーマにしてみました。

ご興味ありましたら覗いていただけると幸いです。(*^▽^*)