新しい風。 | 暗くなるまで待って

暗くなるまで待って

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

長男が2歳半くらいの頃だったか、公園でたまたま出会って

その後一年ほど仲良くしてもらっていた同い年の男の子が

いました。

 

その子はなんというかまあ変わっていて、言葉も遅く

色々と手のかかるお子さんで、別のママが

「Aくんは自閉症じゃないのかな?」とも言っていたのだけど

そのくらいの年の男の子って単に成長が遅いだけだったりする

パターンも多くて、無責任に発達障害系と判断するのは

周りも当の親も憚られ、そのままはっきりさせずに

家族ぐるみで仲良くお付き合いしていました。

 

ちなみに当時の子育て本には自閉症についての記載が

普通に載っていて、でも発達障害なる単語の浸透性は

かなり低い(興味のある人くらいしか知らない)という

状況の頃の話です。

 

さてこのAくん、なぜかうちの夫にやたらと懐いていて

夫も普通に相手をしていたのですが

「Aくんって・・なんかちょっと変わっているよね?」

ということにうっすらと気づいた模様。

 

その後、幼稚園やら保育園やらと行き先が異なったり

Aくんに正式に自閉症の診断がついたりと

濃かったお付き合いから顔を見たら挨拶程度に段々と

薄まっていったのですが、このAくんとの出会いは

うちの夫に発達障害なるものが世の中にあるという

知見を与えた重要なものでした。

 

ガーナでも日本でも出会うガーナ人の中に

「ん?この人は恐らく・・・」というタイプの人がいます。

自閉というよりADHDの方が多いような印象も受けますが

そんな時夫から「多分この人はAくんと似たような障害を

持った人じゃないかと思う」というようなことを聞くと

これだけで夫は日本で長く暮らした意義があったのではないかと

思うほど感動します。

 

というのも、ガーナでは発達障害はそこまで認知されていなくて

単に出来ない子扱いされ、本人はそれが嫌で嘘をつく、という

パターンで育ってしまい、嘘をつくのが当たり前になっている人が

少なからずいる印象を受けるのですよね。

夫もガーナにずっといたとしたら、何もわからずに叱って終わり、

という対応しかしなかっただろうなと。

「当たり前のように嘘で誤魔化される」というのは、受け取るこちらも

本当に困ることではあるのだけど、頭ごなしに叱っても意味をなさない

ということがわかっただけでも大収穫だと思うのです。

 

私は今でもAくん親子との出会いに感謝しているし、

きちんと吸収してくれた夫のことも素晴らしいと思っています。

 

今はどんな感じなのかわからないけど、昔は英語の授業についていけなくて

ドロップアウトした生徒の話とか聞かされると、知能の前に

学習障害とかなかったのかなあ、と考えてしまうし

そういう不運は繰り返しちゃいけない時代になっていると思うんですよね。

そのためには「こういうのがあるんだよ」っていう風を送り込む

ガーナ人が多くならないといけないので、夫のような人が

増えてくれるといいなと思っています。