坪内ゆみさん、インタビューさせてください | 絵本読み聞かせ講師・上甲知子「絵本で子育て講座」出前します【小田原 湘南 横浜 静岡】

絵本読み聞かせ講師・上甲知子「絵本で子育て講座」出前します【小田原 湘南 横浜 静岡】

絵本の読み聞かせを味方につけると子育てはもっと楽しくなります
「読み聞かせなんてめんどくさい」という方も、簡単に楽しくできるときだけ続けられる「絵本で子育て」をお伝えします

坪内ゆみさんのインタビューをさせていただきました




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坪内ゆみさんと
初めて会ったのは
伊豆長岡の絵本専門店グリムさんをお邪魔するツアーにて
絵本セラピストのゆみちゃん(と呼ばせていただきます)が主催してくれました


2017年の秋に主催した
全7回の絵本で子育てセミナーに
ゆみちゃんは参加してくれました

全てのセミナーが終わると、
ゆみちゃんから
こんなメッセージをいただきました

「ささやかながら
鶴の恩返しならぬ
ゆみの恩返し。笑
伊豆が遠くなければ
お嬢様と一緒に
パステルアート体験でもお越しくださいね。ワーク、プレゼントします。」

そこで、いそいそと娘と一緒に年末に押しかけ
ゆみちゃんのパステルアート体験もさせていただきました








今回、わたしの「インタビューさせてください」思いつき企画に
ソッコー名乗りをあげてくださって(1着です)

インタビューさせていただきました

(気安さもありタメ口です)











ー住んでいるところと家族構成は?


伊豆市です。伊豆の真ん中の、修善寺寄りの天城地区。
夫と娘。別棟に義母がいます。息子は東京なの。



ーご出身は?


東京都足立区。



ーどんな子どもだった?


勝気だったかな。
人を思いやれる子、っているでしょ?
わたしは、全然、そうじゃなかったのよ。
だから、子ども時代を振り返るとチクっとする。

でも、…母親思いではあったかな。
高校もね、母の憧れていた都立高校に進学して。越境入学で。



ーお母さんからの期待はどんな感じで受け取ってたのかな?



期待を背負ってるとかそういうんじゃないけどね、親孝行したかったのね。
母は早くに両親を亡くして家も没落して
父も末っ子でいろいろ苦労してきているの。

両親ともに不遇な青春時代を過ごした。
親孝行しなさいと誰かに言われたわけじゃないけど
…してあげたかった。

でも、生意気で、いい子どもではなかったんだけどね。
思い通りにならないと機嫌が悪くなるし。(笑)

うちは、経済的には苦しかったの。
だから親にはほとんど金銭的な負担はかけず、大学も奨学金で行ったのよ。
教員をやれば返還免除になる奨学金や、学内の奨学金で。



ーそういう奨学金があるから先生になろうと?



教員には、前からなりたかったの。
中学までは、数学の先生になりたかったの。

「ゆみに教えてもらうと、わかるんだよね。」
「先生に教えてもらうより分かる。」
とか言われるのが嬉しくてね。

でも高校に入ったら、数2Bとか、物理、化学が難しくて~。(笑)
当時、成績がよかったのが国語だけだったので、国語で教職をとったの。
ちょっと論理的な文系?(笑)






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ー先生としてはどんなスタートを?



大学卒業して、東京都の採用待ちという状況だったのね。

4月に入ってから
「御蔵島( みくらじま)に赴任してほしい。明日までに返事が欲しい。」
「えっ、どこですか?」
好奇心旺盛なのもあって、島っていうのも面白いかなと思って
「行きます」と翌日に返事をした。

当時、母が朝日新聞の「ひととき」欄に投稿したのよ。
親としては、「面白いじゃん」とは言ったものの、後悔した面もあったみたいだけど。

以下一部引用
「行ってきま~す」
いつもと変わりなく出て行く娘。何の気負いもなく、淡々として船に乗り込む娘。伊豆七島・三宅島の先、御蔵島の学校の先生として赴任していくのだ。人口二百四十人、全校生徒二十四人。四十八の瞳の、そんな小さな学校へ。


 島への赴任には最後まで反対だった主人が、夜遅くまで娘の身の回りの品物を箱に詰め、荷造りをしていた。もちろん無言でだったが。姉を頼りに生きてきた弟にも、自立の時が来た。もちろん私にもだが・・・。こうして我が家にも一大転換期がやってきた。

 「島へ赴任の話があったからお受けしたい。」と娘が言い出したとき、一も二もなく賛成した私だが、いまこうしてガランとした娘の部屋を見ると、早まったと後悔している。まったくだらしのない母親だ。


全文はこちらをご覧ください



ー御蔵島に何年いたんですか?



約2年。



ー御蔵島の人口ってどのくらい?



当時、二百数十人・・・だったかな。担任した学年は6人ね。



ーお休みの日って何してるんですか?
お買い物するところもないでしょうし。



そうね、何でも屋さんみたいなお店しかなかったね。
先生仲間と賄いの手伝いはしてたのね。みんなで餃子やコロッケを作ったりして、お料理をそこで覚えたね。
 


ー海で泳いだりは?



好きな人はしてたよ〜。イルカも泳いでいるし。サメもいたけどね。釣りが好きな人は釣り三昧。
わたしはインドア派でそういう系はあんまりだから、眺めてるだけ。(笑)



ーもったいない!(笑)



テレビは綺麗に映ったから、テレビ見たりかな〜。



ー島から全然、出ないんですか?



そうね、お正月と夏休みくらいしか、島からは出られない。

東京まで往復となると、
当時は、御蔵島から三宅島まで、艀(はしけ)のような船で渡って、
三宅島から東京の竹芝桟橋まで船で行くか、
三宅島から飛行機で行くかしかないから、1週間くらいは必要。

島暮らしでお金は溜まるけど、東京に帰るとぱあっと使っちゃう。
だって島では使えないから(笑)



ーそのとき、(ご主人と)付き合ってた?



大学時代の18歳から付き合ってたよ。
彼は静岡県の教員として採用が決まって、中学校で野球部の顧問をして忙しくしてた。



ー彼にも会えないもんね。年に2回?しか。



当時は、LINEもないしね。遠距離電話をたまにするか、手紙を書くかしかないし。
1年目の終わり頃なんて、竹芝で別れるときなんか、「涙の桟橋」だよね(笑)



ーだよね(笑)半年くらい会えないんだもんね。
初めての就職で、初めての島で、初めての一人暮らしで。
よく、続きましたよね。



ま、危ない時もあったよ。それ、オフレコだから(笑)



ーそりゃあるよね。









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島の2年目の夏に静岡県の採用試験を受け直して、静岡県の教員になったの。


ーどんな先生だったの?



教員時代は、40代くらいまでは、よく「熱血」って言われてた。(笑)
職場での協調性は…ないほうでしたね。敵をつくった時期もある。
総合的な学習とか、授業改善とか、いろいろなことが入ってきた頃だったから
「これでいいのか⁉」みたいな(笑)

インドの思想でね
学生(がくしょう)期  25歳までは「学ぶ」
家住(かじゅう)期  50歳までは「家族や社会のために一生懸命働く」
林住(りんじゅう)期 50歳からは「好きなことやっていいんだよ」

林住期を迎えて、ようやく、肩の力が抜けたというか。

「自分、自分」じゃなくて、誰かのためという方が、自分が楽しいということがわかってきた。



ーわたし、ゆみちゃんのそこしか知らないかな〜



だから、今、会ってよかったよね。
40代の時、会ってたら、ぶつかってたかもしれないよね。(笑)
あ、もしくは、一緒にスクラム組んでやっていこう、っていう仲間か!



ーおっと!



だから今、エネルギーを発揮してがんばってる感じがすごく可愛く見える。



ーおっと!
わたしから見る今のゆみちゃんは、
「自分が自分が」という感じではなく、一歩引いて、誰かを引き立たせようとする感じ。




それが楽しくなったのね。



ー前は違ったんだ。



職場で、もまれることもあるし、嫌な思いもしたし、そこから学ぶよね…
でも正直、年齢を重ねて、自分自身の気力、体力が衰えたことが大きいかな。
人が「円くなる」って、気力、体力の衰えっていうのもあるでしょう?

自分がもっと心地よくありたいというのもあったし、
林住期に入るときに「自分探し」みたいなことをした時期があって。

あるところで
「あなたは縁ある人の幸せのサポートをするために生まれてきた」
と言われたのね。

自分のためじゃなくて、誰かのためって思ってやる方が、
流れもいいし、アイディアも生まれるし、喜んでもらえるし、
よっぽどこのほうが幸せだって、実感してる。







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ー今、教員を早期退職して、ゆみちゃんのやりたいことって?
 


忙しいと、職場以外の友達ができにくいし
同僚同士だと、つい愚痴みたいなマイナス方向の話になっちゃったりするでしょう?
仕事でも、神経をすり減らしてしまうこともある。

パステルアートにしても絵本セラピーにしても
仕事がひと段落したときに、ほっとできる場、…そんなコミュニティを作りたいって思ってる。



ーそれは、今までゆみちゃん自身ががすり減らしてきたし、
そういう場が欲しかったからわかることだよね?



教員もね、多忙すぎるし、昔より気もつかうよね。
もっと外の空気を吸って、いろんな人と出会って、豊かになってほしい。
自分が豊かでないと、子どもにも豊かに接することができないから。

長期休業中に、絵本セラピーやパステルに来てもらって、
「あ~、癒された」
「ちょうどいいタイミングでやってくれるんだよね」
と言ってもらえると嬉しくなる。



ーそれはゆみちゃんにしかできないよね、知ってるから、現場を。



学校に関してはね。

とてもハードに働いている友人が、絵本セラピーに参加してくれたんだけど
絵本を1冊読むだけで…ぽろぽろ泣いちゃうのね。

何人もの人に言われたのが
「贅沢な時間をありがとう」という言葉。

忙しく頑張っている人にそんな風に感じてもらえるのが嬉しくて
それが自分の今のやりがい、生きがい。

縁ある人の幸せをサポートできる、それが幸せで、そうやって老いていきたい。



ーすごくいいね、それ。
だから今のゆみちゃんなんだよね。



わたしは足立区立の中学校に通っていたのね。
荒れてた時代でさ、当時、いわゆるヤンキーだった子と数年前に再会してね。

そういう子って、…味のあるいい大人になるんだよね。
「いや、ホント自分の黒歴史消したい」とか言いながら、今堅いところに勤めてたりさ。

わたしも若い頃は、けっこうしょうもない時もあった。
でも、それって大事なんだよな、って。

今、若い人が、とんでもなかったり、尖ってたりしても、それって必要なこと。

「若い時にはじけてない大人は、信用しない」って言った人の言葉を何かで読んだけど
そういう意味では、ようやく、過去の嫌いだった自分を受け入れられたのかもね。



ー愛のある言葉だね。
いいね、分け隔てない同窓生って。



中学の教師だった頃の、思春期の生徒たちとのことも思い出深いよね。

この前、同窓会でサプライズの退職祝いをしてくれて
当時の子が
「先生には世話になったよなあ。」
「なんか、親戚のおばちゃんみたいなんだよなあ。」って言ってくれた。
そんな風に思ってくれてたんだ、ってね。
それだけのエネルギーが自分にあったんだよね。

当時は頑張ってたんだよね。

頑張ってた自分に、今励ましてもらってるところはある。





ーかっちょええなあ


(2018年4月 小田原にて)
(ゆみちゃんの言葉を太字に強調しているのはわたしの主観です)




インタビューを終えて

ゆみちゃんは
人をもてなすこと
喜ばせることの達人

ホスピタリティあふれる人

常に一歩下がって、いつも穏やかで、いつもニコニコしてて。

インタビューする前は、そんな印象を抱いていました

そんなゆみちゃんが「熱血」教師だった
たぶん、たくさんの修羅場をくぐり抜けて来たんだろうなあ

ゆみちゃん自身も
実は、熱い、たぎるものを持っていて
だからこそ、今、
ヤンチャだったり
やらかしちゃう子に
暖かい眼差しを向けることができる


人が円熟していく 
円く熟す

それを体現しているのが
ゆみちゃんなんだな

今、ゆみちゃんは
ゆみちゃんでなければできないことを
していて

それはホントに
お金には変えられない
贅沢なこと

「縁ある人の幸せのサポートをする」

口で言うのは簡単だけど
それを実際にやってるのが
ゆみちゃんだ

それにしても
怖いもの見たさで
40歳代の頃のゆみちゃんに会ってみたい気もする(笑)

もしかしたら、ぶつかり合っていたか
さもなくば、タッグを組んでバリバリ熱く取り組んでいたか・・・

いやいや、ゆみちゃんに教わりたかったな
御蔵島で(笑)




ゆみちゃんのブログはこちら
パステルアート&絵本セラピー ~伊豆・ことり庵~