どうも、はちごろうです。

今日は日中暖かかったですね。昼間眠かったです。
よく「春眠暁を覚えず」などと言いますが、
おそらく冬に凍えながら日々を過ごしていた疲れが
気温の上昇とともにどっと出てくるからなのではないか?
とも思ったりします。
さて、映画の話。

「戦火の馬」

トニー賞受賞の舞台劇をスティーブン・スピルバーグ監督が映画化。
第一次世界大戦を舞台に、戦場を駆け抜けた一頭の馬の運命を描く。
第一次大戦開戦間近のイギリスの片田舎で一頭の馬が売り出された。
その馬の美しさに魅了された貧しい農夫テッドは
なけなしの金をはたいてその馬を買って帰る。
妻のローズは激怒するが、息子のアルバートはその馬を気にいり
ジョーイと名付けて調教を開始する。
彼の献身的な世話によりジョーイは乗馬馬として成長するが、
ジョーイを買ったため地主への地代が払えなくなったテッドは
アルバートに内緒でジョーイをイギリス軍に売りに行った。
それを知ったアルバートは村まで急いだが
すでにジョーイはイギリス軍に引き渡された後だった。
そうしてジョーイは数奇な運命を辿ることになるのだった。



欧米人にとっての馬


10年ほど前だったか、海外ドラマ「アリーmyラブ」のなかで
馬の肉を食べた夫が妻に離婚訴訟を起こされるという話があった。
日本人にしてみれば馬肉は桜肉とも呼ばれ、
牡丹鍋など食用として親しまれることも多いので
「何を大げさな」と思うかもしれないが、
国土の狭い日本と比べ、欧米人にとって馬は重要な移動手段であり、
また戦争のときには貴重な戦力として重用されていたわけだから、
それだけに身近な存在なのではないだろうかと思う。
だから欧米人にとって馬はまさに「人馬一体」というか、
自分の身体の一部として扱ってきた歴史があり、
それだけに馬という生き物に対する思い入れは強いのだろう。
だからこの作品で語られる物語の持つ意味合いというものは
欧米人には格別なものがあるのだろう。



連隊旗が語る兵士の本質


さて、この映画は一頭の馬が人から人へ受け継がれていく中で
人と馬との絆や、戦争の悲惨さ、そし軍人の資質までが語られていくのだが、
それを象徴するのがテッドの家に納屋に隠してあった連隊旗。
それはテッドが軍曹として従軍した功績を称えたものなのだが、
同時にそれは戦争の悲劇を思い起こさせるものとして
長らく納屋に隠してあったものだった。
映画の冒頭、アルバートが英軍に売られたジョーイの首に
この連隊旗を付けて送り出すシーンがある。
それ以降、ジョーイがイギリス人、ドイツ人、フランス人と
さまざまな人物に引き渡されると同時に、
その連隊旗もそれにふさわしい持ち主の元に引き継がれていく。
それはまさに「戦場で戦う勇敢な心の持ち主」だけでなく、
「戦争が悲劇であることを知る者」であることの証明でもあった。



技術の進歩と、それでも変わらぬ人間の真実


物語自体もまさにそうした戦場で戦う兵士の勇気と、
戦争の悲劇とが同居する内容となっている。
第一次世界大戦はそれまでの騎馬隊に替わり、
大砲やガトリング砲が本格的に導入され、
より殺傷能力の高い武器による戦いとなった。
同時に、馬も兵隊の重要な移動手段の一つから、
重火器運搬用のただの道具になっていった戦いでもあった。
武器や機械の発達により馬の、そして人間の命が軽くなり、
戦場の悲惨さも格段に増した戦争の中、
それでも変わらなかったものがあった。
それは終盤、最前線で有刺鉄線に絡まったジョーイを
イギリス、ドイツ両軍の兵士が一時休戦し、
協力して助けるというシーンで発揮される。
どんなに戦争を指揮する上官の人間性が希薄になろうとも、
最前線の兵士たちの人間性はまだ失われていなかった。
勇敢な人間同士の戦いがそこにはあったのである。

この悲しくも美しい物語を支えたスタッフ達。
戦争オタクのスピルバーグによる最前線の描写もさることながら、
特にヤヌス・カミンスキーによる撮影の素晴らしさ。
そして幾つかのシーンを除いて極力CGを使わず
実際の馬を使ったシーンの迫力と美しさは見事でした。