国宝 宋刊本文選(金沢文庫本)を見る | 死ぬまでにすべての国宝を肉眼で見る

死ぬまでにすべての国宝を肉眼で見る

2023年12月現在の国宝の総数1,137件。そのうち、美術工芸品906件。これをすべて肉眼で見ようという計画です。関西中心の情報をお届けします。

栃木県は足利市へ、行ってきました(^_^)/

目的地は、史跡足利学校 


日本最古の学校とも云われ、あの小野篁(おののたかむら)が創建に係わったとの説もあります(^_^;)
近代教育制度導入以前から、儒学・兵学を中心に、武士階級のみならず、多くの庶民に高い教育を施し、かのフランシスコ・ザビエルをもって「この学校、サイコー!」と言わしめ、当時の最高学府だったそうです。
良質の"漢籍"を所蔵するため、江戸時代には、多くの文人・学者が集まりました。
その敷地内にあります、足利学校遺蹟図書館が、目的地になります。
前述の"漢籍"は現代に引き継がれ、
・国宝 宋刊本文選(金沢文庫本)
・国宝 宋版礼記正義
・国宝 宋版尚書正義
・国宝 宋版周易註疏
と、4件の国宝を所有しています。

この内、国宝 宋版尚書正義と、国宝 宋版周易註疏は昨年末にレポート 


しましたね(^o^)

しかしながら、国宝の展示は2/15(木)で終了しました(^_^;)スミマセン

ホントは先週に行く予定でしたが、雪⛄の影響で交通機関の乱れが予想されたので、早々に訪問日の変更をしたのでした。(最近はネットで簡単に予約変更できるので、便利ですね)
では、館内に入りましょう🎶
残念ですが、館内は撮影禁止🈲です。

では、レポートします。




・国宝 宋刊本文選(金沢文庫本)

中国は南宋時代の作。

縦30✕横20cmほどの、糸綴じの冊子本です。
"宋刊本"とあるように、中国は南宋時代に木版印刷されたものです。
一点もの(ワンオフ)がその大半を占める国宝の中において、プロダクト(既成品)である"印刷本"は珍しいのですが、中国でもほぼ残存していない貴重な漢籍として、国宝指定を受けています。(中国では王朝が変わると、前王朝の文化(時には文字でさえ)は、ことごとく燃やされる事(焚書ふんしょ)が多い)


では、「文選(もんぜん)」とは、何でしょう?
"文選"とは「選ばれし、素晴らしき文書集」のことです✨
6世紀前半、中国の王朝"梁(りょう)"の"武帝"の皇太子"昭明太子"こと"蕭統(しょうとう)"が編纂した詩文集です。
中国の春秋〜梁時代の1000年間の、代表的な詩文800編を集めています。
この"文選"、古代中国の高級文人たちには必須の教養書で、それを諳んじ意味を良く理解していれば、"科挙(かきょ)"に合格できるほどであったとか。
日本でもハイソな人たちには大変好まれたようで、清少納言 


も枕草子で
「書は文集・文選」
と、褒めてます。

それでは、この足利学校遺蹟図書館所蔵の"国宝 宋刊本文選(金沢文庫本)"は、と云うと……

その"文選"に"注"を付したもの……つまり、"文選"の文中に解説を加えたものです。
これは60巻分あった(国宝事典より)ようで、さらに時代が下った南宋時代に、まとめて木版印刷したものになります。オリジナルの文選は30巻なので、注釈を加えて倍増したのかねぇ?

この"文選"に注釈を加えたものには、有名どころが2つありました。
①唐の李善(りぜん)の注釈
②呂延済(ろえんざい)など5名の注釈
です。
南宋時代には、①に②を合体させた「六臣注」が最も普及したので、この国宝 宋刊本文選(金沢文庫本)は、「六臣注」の最古の刊本になります(^_^;)ヤヤコシイネ

全21冊が、足利学校遺蹟図書館に残されています。

では、画像で細部を見ていきましょう(^_^)/
↑ポスターから表紙の写真を引用しています。展示はすべて冊子を見開きで展示していたので、表紙を見ることはできませんでした😢
ここでは、赤表紙(ていうかオレンジ)で、糸綴じで装丁されていることがわかりますね。
1冊の本の中には、"文選"の複数の巻が収録されています。↑のポスターの画像は「文選巻第四十六」の巻が含まれている冊子であることがわかりますね。
続いて"文選"の撰者「梁昭明太子撰」とあります。(梁王朝の昭明太子が撰者)
さらに「五臣並びに李善注」で、李善他五人の六臣注の表記があります。(さっき説明しましたね)
金沢文庫」の印が捺され、元は金沢文庫所蔵であったことも伺えます。なので(金沢文庫本)。
その後は、巻第四十六の目次が続きます

で、こちら、4冊が展示されていました!

ラッキー!(1冊だけだと思ってた)

では、1冊ずつ見ていきましょう(^_^)/



・文選巻第十四含む冊

"令和"の典拠として紹介されていました。
"令和"の典拠は、ご存知"万葉集"梅花の歌の序文「初春月、気淑風、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」(初春の月にして、気淑く風ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す)からなのですが、この詩の作者が参考にしたのではないか?と考えられる"文選巻第十四"の一節を見開きで展示していました。
その一節とは「仲春月 時気清 原隰鬱茂 百草滋栄」(仲春の月 時はし気は清む 原隰し鬱茂し 百草 滋栄す)です。
そこが最終ページでして、"文選巻第十五"の冒頭で終わっていました。



・文選巻第十五・十六・十七を含む冊

上記の冊子の続きのようです。
見開きで巻第十六(タイトルのみで空白)と巻第十七の冒頭部分の展示でした。



・文選巻第四十六を含む冊("豪士賦序"の古詩)

写真で解説した、巻第四十六の"豪士賦序"の古詩を、見開きで展示していました。
これは、源氏物語と絡めてましたね(^_^)
源氏物語 二十一帖「乙女」の、
「風の力 けだし少(すくな)し」
の、出展として紹介していました。

「乙女」第五段、夕霧と内大臣との会話シーンで、内大臣が文選の一節を引用するのです。こんな感じ……
夕霧を前に、内大臣は和琴を引き寄せました。
秋の風が落ち葉を揺らす庭を眺めながら、内大臣は、今流行りの少し力強いアレンジで、和琴を奏ではじめます。
その音色に几帳の後ろに控える女房たちが目を潤ませます。
内大臣が口を開きました、
「風の力 けだし少(すくな)し
(もう少し風が強ければ良いのだがな……)」
夕霧は答えます、
「(琴の感ならねど)琴のせいではありませんことよ。
でも不思議としみじみとした夕べではありませんか。もっと、弾いてくださいませ♥」
これね、内大臣が文選の一節「風の力けだし少し」を引用したら、夕霧も同じ文選の一節「琴の感ならねど」で返すんですよ!
ハイソサエティーな世界です!
宮中での男女のやり取りには、教養が不可欠なのがわかりますね〜


、相当頭良いなっ!



・不明("帰去来辞"の古詩)

この冊子は、文選の第何巻か?記載が無くわかりませんでした(^_^;)
「帰去来辞」の古詩のページを見開きで展示していました。

「帰去来辞」→「帰りなん いざっ!」

陶淵明(とう・えんめい)(陶潜とも云う)の代表的韻文で、中央政治の悪政に辟易した陶潜が、要職を捨て故郷の田園に帰る際の心情を歌ったものです。
踏ん切りをつけて「さぁ、帰ろう!」と、心晴れやかに帰途につく、そんな気持ちが良く表れています。


レポートは、以上です。


効果で、色んなところで関連展示が行われてますね〜



このあとは、東博に向かいます(^_^)/~~