からの続き、春日権現験記絵 巻八の後半です(^_^)/
11/7(火)から後期に変わり、巻き替えされています。
《壹和僧都のお話し》
興福寺の僧 壹和は、かねてより望んでいた、維摩会の講師に選ばれませんでした。
とても悔しくて、壹和は修行の旅に出ることにしました。
↑壹和が、旅装束で泣いていますね😢
尾張にたどり着いた壹和は、そこで巫女からお告げを受けます。
『チョットあんた!こんな所にいちゃダメよ!あんた、今度の維摩会の講師に選ばれるわよっ!』
↑巫女は、春日明神が変化した姿なのでした。(神様なので、顔を描くのが憚られるため、顔は描かれません。)
壹和は、翌年念願の維摩会の講師を、務めることになりました。
《法蔵僧都のお話し》
東大寺の僧で、法蔵というお坊さんがいました。この法蔵が、維摩会にて"堅義(りゅうぎ)"を務めることに事になりました。お坊さんの昇進試験みたいなもんで、試験官からの質問に答えなければなりません。
ところがこの時、仏教教義には無い質問が出たのです。法蔵は大慌てし、答えることができませんでした。
その後、法蔵の夢に春日明神が現れ『おまえが、興福寺と春日社にお参りするのをサボったので、我れがその文章をかくしたのだ!』と叱られました。
↑文章が見つけられない法蔵。両手いっぱいに紙を持って、足元にも落としてます(^_^;)焦ってますね~
《お寺を離れたお坊さんの話し》
興福寺を離れ、関東地方に引っ越したお坊さんがいました。ある秋の夜、春日社にお参りできない悲しさで涙していると、春日明神が雲に乗って現れ、
『汝は我のもとを離れたが、我は汝を捨てはしない!』
と、お告げを受けました。
↑庭の紅葉🍁と秋草で、季節が秋ということがわかります。
↑銀泥で半月🌓が描かれているので、夜だということもわかります。
↑お坊さん、膝を抱えて体育座りしてます。カワイイ
↑手水があって、木に白い手ぬぐいが掛けてありますね。右下はトイレなのでしょう。
当時の人の生活が偲ばれます。
↑春日明神が白い雲に乗って、やって来ます。お顔を描くことは憚られるので、後ろ向きです。半透明の裾(きょ)がたなびいています。(裾が長いほど位も高い)
"絵巻物"だと、ストーリーを追っていくもののように思いますが、春日権現験記絵の場合は、アンソロジーなので、ショートストーリーの積み重ねです。ブツ切れ感がるので、チョットとっつきにくいと思います。
事前の説明があった方が楽しめると思ってるので、チョット解説してみました(^_^)
ちなみに、上の画像は模写ですが、これより実際の国宝は、色彩も華やかで、絵も上手いです\(^o^)/
ぜひ現物を見てください。
・国宝 動植綵絵 伊藤若冲筆より
大鶏雌雄図【後期】
牡丹小禽図【後期】
三の丸尚蔵館所有の国宝。大鶏雌雄図が宝暦9年(1759年)、牡丹小禽図が宝暦11年(1761年)の作。
後期で、2幅とも入れ替わりました。
大鶏雌雄図【後期】
↑wikipedia より
つがいの鶏です。やはり若冲を展示するとなると、鶏は外せないようです(^_^)
若冲の作品がキレイなのは、時代が新しいこともありますが、高級な画材、絵の具を使っているというのもあります。裕福な、錦の青果商に生まれた、若冲ゆえですね。
牡丹小禽図【後期】
↑wikipedia より
紅白ピンクのボタンの中に、つがいの小鳥を描いています。
ただ、個人的には、若冲作品はそんなに好きでも無いんですよね〜
きっとそれは、暈(ぼ)けたり、霞(かす)んだりした所が全然無くて、作品全体にピントが合ってるから。
(ぼけぼけの俵屋宗達なんかが好み)
そして、キレイ過ぎるから……
虫食いの跡すらキレイですからね。若冲は。
さぁ、絵画編はこれにて終了。
次回、最後は王羲之編です。