京都文化博物館「陽明文庫の名宝12(前期)」 | 死ぬまでにすべての国宝を肉眼で見る

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2023年12月現在の国宝の総数1,137件。そのうち、美術工芸品906件。これをすべて肉眼で見ようという計画です。関西中心の情報をお届けします。

全国の藤原道長ファンの皆さん、こんにちは\(^o^)/


また、この季節がやってきました(^_^)


現在、京都文化博物館の常設展示では、毎年恒例の「陽明文庫の名宝」が開催中です。

私のレポートが遅くて、前期展示は11/6で終了してしまいました(^_^;)

現在、1,131件ある国宝のうち、私が一番好きな国宝「御堂関白記」が展示されています。
今年は更に、国宝の後二条殿記も同時出展です。
私が、御堂関白記が好きな理由は、こちら 


を見ていただくとして、さっそくレポートします。

今回展示の国宝は、

・国宝 御堂関白記より
自筆本
古写本
長徳四年〜長保二年巻
・国宝 後二条殿記より
応徳元年巻

の、2件3点です。

では、一つずつレポートします。

と、その前に、今回の展覧会のテーマを確認しておきましょう。
「失われた行事」
です。現代に至るまでに、宮廷を始め京で存在していた行事が、いつの間にか無くなっていきました。そんな「失われた行事」にスポットを当てています。

例えば「御燈(ごとう)」という行事がありました。
摂政・関白を担う五摂家(近衛・九条・二条・一条・鷹司)が、持ち回りで3/3と9/3に、清涼殿で北極星に灯火を捧げる儀式です。
さて、そんな「御燈」が御堂関白記でどう書かれているのでしょうか?

・国宝 御堂関白記(みどうかんぱくき)
陽明文庫所有の国宝。平安時代(10〜11世紀)の作。

藤原道長の自筆本14巻と、後継の家人が書写した古写本12巻があります。
前期展示では、
自筆本
が、展示されています。

道長35歳、まさに権力の頂点に駆け上がる、その時の日記です。
巻中1mほど、長保2年2月19日〜3月8日の部分を展示していました。

この期間のメインイベントは、2/25の娘 藤原彰子の「立后」、つまり時の天皇である"一条天皇との結婚"です。(ただし彰子は、前年にすでに入内していますので、儀式的な意味合いが強いです)
これによって、道長は天皇から「お父さん」と呼ばれる立場になったのです。
この時、一条天皇には定子という中宮がいましたが、道長はその権力を駆使しわずか12歳の彰子を中宮にねじ込み。前代未聞の一帝二后(一人の天皇に2人奥さんがいる)が始まったのです。
※その後、定子は道長が新設した「皇后」という位に就き、一帝二后は解消されました。(定子が皇后、彰子が中宮)
この「皇后」という位は、現在でも、天皇の正妻として使われています。
さて、そんな大事な日ですが、道長は日記でその事には触れていません……当日、誰がどこで何をした…という事だけを事務的に記しているのみです(^_^;)

↑「立后事」と付箋が貼ってあるのは、おそらく後世の家人が貼ったのでしょう。


さて「御燈」ですが……
展示部分には、一文字も書かれていません(^_^;)書かれているのは、一言、

3/2 二条に渡る。

キャプションによると、日記のこの記載が、それに該当するようです。意訳すると、
「鴨川に行く。"御燈"の不実施を詫びる祓えを行う。」
だそうです……
そんなもん、わかるかっ!
学芸員さん、もうちょっと何とかならなかったんですか??

怒ってもしょうがないので、その前後の道長の行動を見ていきましょう。

3/3は"御燈"なのに、実施できなくなった。なので、
3/2に鴨川に行って、"御燈"をしなかったお詫びの"祓え"をした。その夜は、歌会で和歌を詠んだ。
3/3は、皆で花見をした。

と、"御燈"を中止したので、仕事が減ったからでしょうか?楽しげに遊んでる様子が伺えます(^_^)

ちなみに、日記が書かれているのは、"具注暦(ぐちゅうれき)"という、宮廷で支給される公式カレンダーです。楷書でキレイな字で書かれています。
一方、汚い字は藤原道長の自筆。この部分が、日記です。
つまり、職場で配付されたカレンダーに、日記を書き込んでいるわけです。



古写本
長徳四年〜長保二年巻

次は"古写本"。平安時代(11〜12世紀)の作。全12巻あるうちの1巻。

道長は、毎日日記を書いているわけではないので、道長を継いだ藤原家の人々が、道長の自筆部分のみを抜き出してまとめています。

巻中1mほどを展示しています。薄く界線が引かれ、行書で書かれています。なので、読みづらい……
上の余白に比べて、下の余白がやたらと広くなってます。何でだろ(?_?)

自筆本と同じ2/25の「中宮立后」あたりを開いていました。
道長の誤字を、訂正したりしています。

すでにある日記をどうしてまとめる必要があったのでしょうか?それは、具注暦はカレンダーなので長すぎたのです。後で見返す時に、日記の書かれていない部分は飛ばして見たいので、日記部分だけを抜き出してまとめたんですね〜(^_^)

道長の子孫たちは、道長が日記を細かく書いてくれていたお陰で、いつ何処でどんなことが宮中で行われたか、何か問題が起こったときは何をすれば良いか、どんなものが必要か、日記からそれを知ることができたのです。
そうすることで、他の貴族よりも摂政・関白を務めるに相応しい一族として、摂関政治を引き継ぐ事ができたんですね。
そりゃあ、この日記を大事にする訳だ(^o^)今や、国宝です。




・国宝 後二条殿記より
応徳元年巻
 
陽明文庫所有の国宝。平安時代(12世紀)の作。

"後二条殿"は、藤原師通(ふじわらのもろみち)のこと。
藤原道長のひ孫です。彼も関白在任中に日記を書いていました。それが、この"後二条殿記"。

全30巻残っていて、そのうち1巻は自筆本です。
今回展示の"応徳元年巻"は、自筆でなく古写本。
薄く界線が引かれ、楷書で書かれています。巻中1mほどを展示していました。
日付けとしては、応徳元年(1084年)2/26〜3/11までの部分でした。

申し訳無いことに、前期展示は11/6で終了。11/8からは、後期展示に切り替わります。レポート遅くてスミマセン

私は見ませんでしたが、特別展では「新選組展2022」が公開中で、刀剣乱舞とコラボしてました。
↑土方歳三の愛刀「刀 銘 和泉守兼定」……男前やなぁ……