全国の藤原道長ファンの皆さん、こんにちは\(^o^)/
また、この季節がやってきました(^_^)
現在、京都文化博物館の常設展示では、毎年恒例の「陽明文庫の名宝」が開催中です。
私のレポートが遅くて、前期展示は11/6で終了してしまいました(^_^;)
現在、1,131件ある国宝のうち、私が一番好きな国宝「御堂関白記」が展示されています。
今年は更に、国宝の後二条殿記も同時出展です。
私が、御堂関白記が好きな理由は、こちら
を見ていただくとして、さっそくレポートします。
今回展示の国宝は、
の、2件3点です。
では、一つずつレポートします。
と、その前に、今回の展覧会のテーマを確認しておきましょう。
「失われた行事」
です。現代に至るまでに、宮廷を始め京で存在していた行事が、いつの間にか無くなっていきました。そんな「失われた行事」にスポットを当てています。
例えば「御燈(ごとう)」という行事がありました。
摂政・関白を担う五摂家(近衛・九条・二条・一条・鷹司)が、持ち回りで3/3と9/3に、清涼殿で北極星に灯火を捧げる儀式です。
さて、そんな「御燈」が御堂関白記でどう書かれているのでしょうか?
・国宝 御堂関白記(みどうかんぱくき)
↑京都文化博物館HPより
陽明文庫所有の国宝。平安時代(10〜11世紀)の作。
藤原道長の自筆本14巻と、後継の家人が書写した古写本12巻があります。
前期展示では、
自筆本
が、展示されています。
道長35歳、まさに権力の頂点に駆け上がる、その時の日記です。
巻中1mほど、長保2年2月19日〜3月8日の部分を展示していました。
この期間のメインイベントは、2/25の娘 藤原彰子の「立后」、つまり時の天皇である"一条天皇との結婚"です。(ただし彰子は、前年にすでに入内していますので、儀式的な意味合いが強いです)
これによって、道長は天皇から「お父さん」と呼ばれる立場になったのです。
この時、一条天皇には定子という中宮がいましたが、道長はその権力を駆使しわずか12歳の彰子を中宮にねじ込み。前代未聞の一帝二后(一人の天皇に2人奥さんがいる)が始まったのです。
※その後、定子は道長が新設した「皇后」という位に就き、一帝二后は解消されました。(定子が皇后、彰子が中宮)
この「皇后」という位は、現在でも、天皇の正妻として使われています。
さて、そんな大事な日ですが、道長は日記でその事には触れていません……当日、誰がどこで何をした…という事だけを事務的に記しているのみです(^_^;)
さて「御燈」ですが……
展示部分には、一文字も書かれていません(^_^;)書かれているのは、一言、
3/2 二条に渡る。
キャプションによると、日記のこの記載が、それに該当するようです。意訳すると、
「鴨川に行く。"御燈"の不実施を詫びる祓えを行う。」
だそうです……
そんなもん、わかるかっ!
学芸員さん、もうちょっと何とかならなかったんですか??
3/3は"御燈"なのに、実施できなくなった。なので、
↓
3/2に鴨川に行って、"御燈"をしなかったお詫びの"祓え"をした。その夜は、歌会で和歌を詠んだ。
↓
3/3は、皆で花見をした。
と、"御燈"を中止したので、仕事が減ったからでしょうか?楽しげに遊んでる様子が伺えます(^_^)
ちなみに、日記が書かれているのは、"具注暦(ぐちゅうれき)"という、宮廷で支給される公式カレンダーです。楷書でキレイな字で書かれています。
一方、汚い字は藤原道長の自筆。この部分が、日記です。
つまり、職場で配付されたカレンダーに、日記を書き込んでいるわけです。
古写本
長徳四年〜長保二年巻
次は"古写本"。平安時代(11〜12世紀)の作。全12巻あるうちの1巻。
道長は、毎日日記を書いているわけではないので、道長を継いだ藤原家の人々が、道長の自筆部分のみを抜き出してまとめています。
巻中1mほどを展示しています。薄く界線が引かれ、行書で書かれています。なので、読みづらい……
上の余白に比べて、下の余白がやたらと広くなってます。何でだろ(?_?)
自筆本と同じ2/25の「中宮立后」あたりを開いていました。
道長の誤字を、訂正したりしています。
すでにある日記をどうしてまとめる必要があったのでしょうか?それは、具注暦はカレンダーなので長すぎたのです。後で見返す時に、日記の書かれていない部分は飛ばして見たいので、日記部分だけを抜き出してまとめたんですね〜(^_^)
道長の子孫たちは、道長が日記を細かく書いてくれていたお陰で、いつ何処でどんなことが宮中で行われたか、何か問題が起こったときは何をすれば良いか、どんなものが必要か、日記からそれを知ることができたのです。
そうすることで、他の貴族よりも摂政・関白を務めるに相応しい一族として、摂関政治を引き継ぐ事ができたんですね。
そりゃあ、この日記を大事にする訳だ(^o^)今や、国宝です。
・国宝 後二条殿記より
応徳元年巻
陽明文庫所有の国宝。平安時代(12世紀)の作。
"後二条殿"は、藤原師通(ふじわらのもろみち)のこと。
藤原道長のひ孫です。彼も関白在任中に日記を書いていました。それが、この"後二条殿記"。
全30巻残っていて、そのうち1巻は自筆本です。
今回展示の"応徳元年巻"は、自筆でなく古写本。
薄く界線が引かれ、楷書で書かれています。巻中1mほどを展示していました。
日付けとしては、応徳元年(1084年)2/26〜3/11までの部分でした。
申し訳無いことに、前期展示は11/6で終了。11/8からは、後期展示に切り替わります。レポート遅くてスミマセン
私は見ませんでしたが、特別展では「新選組展2022」が公開中で、刀剣乱舞とコラボしてました。
↑土方歳三の愛刀「刀 銘 和泉守兼定」……男前やなぁ……