奈良博「中将姫と當麻曼荼羅(前期)」 | 死ぬまでにすべての国宝を肉眼で見る

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2023年12月現在の国宝の総数1,137件。そのうち、美術工芸品906件。これをすべて肉眼で見ようという計画です。関西中心の情報をお届けします。

奈良国立博物館 


へ行ってきました(^_^)/

現在、特別展「中将姫と當麻曼荼羅 


」が開催中。今回のレポートは、前期展示のものですが、残念ながら8/7(日)で終了。レポート間に合わず、申し訳ありません(^_^;)

現在は、後期展示に変わっています。
前期・後期で、異なる国宝が展示されるので、後期も訪問予定です(^_^)

さて、前期で展示されていた国宝は、以下のとおり。

・国宝 當麻曼荼羅厨子より
厨子扉【通期展示】
・国宝 当麻曼荼羅縁起絵巻 上巻【前期のみ】
・国宝 一遍上人絵伝(一遍聖絵)巻八 円伊筆【前期のみ】
軸内納入文書【通期展示】



鎌倉時代 仁治3年(1242年)の作。

会場に入って一番最初に展示されています。
ファッションショーでいえば、"ファーストルック"ってヤツです。

国宝 當麻曼荼羅厨子本体は、當麻寺の本堂(曼荼羅堂)に安置されています。
現在はその厨子の扉だけを取り外し、奈良国立博物館で保管されています。
それを展示しているんですね。

厨子本体は、奈良時代に作られたものですが、この扉は鎌倉時代に修理された際に、新たに取り付けられた扉です。

三枚折りの扉 左右2枚組みで、全体で3.5×4m以上もあるので、迫力があります。また、保存状態も良いので、本体と違ってくすみもありません。

黒漆塗りで、蓮池に浮かぶ蓮の花や葉が、金蒔絵で表されていて、金と黒のコントラストが美しいものです。

特に蓮の葉は、表裏を、金粉の粗密のグラデーションで表していて、とても繊細でキレイなものです。

そして、もう一つの特徴は、下部に記されている"結縁者"。
左側の扉に、時の摂政 九条教実、鎌倉幕府初代将軍 源頼朝、三代執権 北条泰時などの名が記されています。

まずは、大きな金文字で、
「曦子内親王」。
続いて金地に黒抜きで、
「後一条前摂政」と、あるのが"九条教実"。
「前右近衛大将」と、あるのが"源頼朝 


"。
その下、銀地に黒抜きで、
「前武蔵守平朝臣泰時」と、あるのが"北条泰時 


"。




・国宝 当麻曼荼羅縁起絵巻 上巻【前期のみ】

光明寺所有の国宝。鎌倉時代(13世紀)の作。

當麻曼荼羅の由緒を表した、縦50cmもある大型の絵巻です。
通常の絵巻の倍ほどの大きさで、これは、通常 横に継いでいく料紙を縦にして継ぐことで作られています。(国宝 北野天神縁起絵巻 承久本と同じ作りです)

上下巻あるうちの、前期では"上巻"を展示していました。

しかも、巻頭から巻末まで全巻全場面展示です!


ことがあるんですけど、その時は一部だけだったんですよね〜これは、ありがたいです\(^o^)/

まずは、中将姫の物語を復習しておきましょう〜


エエとこの家に、中将姫という美人で優しく、信心深い姫がいました。
ところが、若くしてお母さんを亡くしてしまいます。
ほどなく後妻がやって来ますが、とても悪い継母で、中将姫を虐め倒します(>_<)
主人が留守のある日、継母は使用人に「中将姫を殺せ!」と命令します。コワッ
使用人は、姫を殺そうとしますが、姫は逃げようともせず、死んだ母親と自らの成仏を祈るばかり。
使用人は「なんて、孝行娘や……」と哀れみ逃がしてやることとします。

難を逃れた中将姫は、奈良の当麻寺に「仏門に入りたい」と願い出ます。ところが当麻寺は女人禁制のため、住職は姫の願いを断りました。
諦めない姫は、何日も経を唱え続けます。
姫の強い意思を認めた住職は、入門を認めたのでした。

その後、当麻寺で修行に励む姫でしたが、ある日、姫のもとに年老いた尼がやってきます。
尼は、姫に「蓮の茎を集めなさい」と言うのです。
次に尼は「集めた蓮の茎から取った蓮糸で、曼荼羅を織りなさい」と言います。
取り出した蓮糸を井戸で洗うと、糸は五色に色づき……
↑↑↑↑↑↑↑(ここまでが上巻)
↓↓↓↓↓↓↓(ここからが下巻)
姫も無心に機を織ります。
すると、わずか一夜にして、4m四方の巨大な曼荼羅を完成させるのです。
これが、国宝 綴織当麻曼荼羅図です。
なんと老いた尼は、変化した観音菩薩だったのでした。

中将姫は29歳で、望みどおり極楽往生を迎えます。
臨終に際しては、阿弥陀如来と二十五菩薩が来仰し、西方極楽浄土に旅立ったそうです(^-^)



さて、絵巻を上巻冒頭から見ていきましょう(^_^)/
絵巻は、詞書→絵→詞書→絵→……の構成で進みます。

絵巻では、中将姫が當麻寺で修行するところから始まります。

〈中将姫、1,000巻の写経を始める〉
屋敷の中で、中将姫が称賛浄土経の書写を始めるシーンです。
几帳の奥で、十二単を着た黒髪の女性が写経をしています。これが中将姫。
姫はちょいブサです……
詞書
〈中将姫、剃髪する〉
中将姫の剃髪シーンです。姫の前には黒い"たらい"が置かれています。
絵の具の剥落が激しいです。姫の髪は、まだ長いです。
〈謎の尼現る〉
姫の前に、謎の尼が現れ蓮の茎を集めるよう命じます。
この時、姫は既に仏門に入っていますが、坊主頭ではありません(^_^;)
当時、高貴な女性は、髪を少し短くするだけで、"尼さん認定"されていたので、おかしくは無いんですよ。

ここまでで、屋敷の中のそれぞれ部屋に、中将姫が登場します。
これは"異時同図法"といって、同じ屋敷の中でも時間が異なるのです。
剃髪した姫が時間を経て、別の部屋で謎の尼と話しをしているのです。
〈蓮の茎を集めよ!〉
屋敷の門から、男が文書を持って飛び出してきました。
文書はおそらく「蓮の茎を集めよ」という、中将姫からの指示書でしょう。
そう、中将姫は"エエとこ"の娘さんなので、そこに仕える家人がいるのです(^_^)
〈糸を紡ごう〉
絵巻は、また屋敷の中に戻ります。
謎の尼と、十二単を着た女性たちが、蓮の茎から、糸を紡いでいます。中将姫もこの中に居るはずです。
〈続々と集まる、蓮の茎〉
屋敷の前には、蓮の茎が馬で運ばれてきたりして、全国からワンサカ集まってきています。
詞書
〈井戸掘り〉
沢山の工夫たちが、井戸を掘る様子が描かれています。この井戸は蓮糸を洗うための井戸です。
ココデは、当時の大工たちの工具も見ておきましょう。
大きな角材に杭を打って、へぎ割る様子や、ノコギリで木を切る様子、井戸掘りで出た土砂を、トンボのような器具を使って運ぶ様子など、当時の建築道具などを窺い知ることができます。
〈井戸で蓮糸を洗う〉
出来上がった井戸は屋外なので、周りに屏風を立てたり、幕を張ったりして取り囲んでいます。
その中に、謎の尼と、三人の女性が座っています。真ん中の女性が、中将姫でしょう(^_^)
その井戸の水に蓮糸を浸けると、なんと五色に染まる!というシーンです。
〈井戸のそばに光る石あらわる〉
光輝く石は、仏像のように見えます。
その話しを聞きつけた帝は、その光る石を石仏にするよう命じました。
画像の右下が仏像っぽい光る石です。
左に進むと、時間が経過して石を石仏に彫っているのがわかります。だいぶ出来上がってきましたね。(画像は、和樂  さんからお借りしました)
〈お堂の完成と桜の植樹〉
石仏を納めるお堂が完成し、「染寺」と名付けられました。(蓮糸が五色に染まったからね)
お堂の横には、1本の桜が植えられました。

上巻はここで終わりです。

全体的に絵の具の剥落が激しく、中将姫の顔など、良く見えいのが残念ですが、やはり縦50cmの大画面は圧巻で、映画でいえば「IMAX 


」ってとこでしょう。

上巻は途中から、中将姫の当麻曼荼羅織成から離れ、石仏造りになるのですが、下巻では当麻曼荼羅を織る話しに戻ります(^_^;)


さて、国宝 当麻曼荼羅縁起絵巻 上巻は平置き展示されているのですが、その反対側には、国宝 一遍上人絵伝(一遍聖絵)が、展示されています。どちらも13世紀の作品ですが、当麻曼荼羅縁起絵巻は紙に描かれた"紙本"、一遍聖絵は絹布に描かれた"絹本"。
一遍聖絵の方は、絵の具の剥落がほとんど無いので、いかに絹本が良いのかが分かります。




・国宝 一遍上人絵伝(一遍聖絵)巻八 円伊筆【前期のみ】

清浄光寺所有の国宝。鎌倉時代 正安元年(1299年)の作。

鎌倉時代に、時宗を広めた僧 一遍の事績を描いた絵巻です。
巻末近く、4m程を展示しています。
当麻曼荼羅縁起絵巻よりは小さいですが、それでもワイドな縦30cmはある作品。先にも書いたように絹本なので、大振りながら緻密に描かれ、剥落も少ないです。単眼鏡で見てみるといいですよ~

詞書と、一遍が聖徳太子御廟(ごびょう)を訪れる場面と、當麻寺の本堂(曼荼羅堂)で食べ物の布施を行う場面の展示です。

ここに描かれている當麻寺は、鎌倉時代当時のものでしょう。
桁行(けたゆき横幅)5間、梁間(はりま奥行)3間で表されています。これは、現在の内陣部分にあたります。
こちらの画像の「内陣」が、桁行5間、梁間3間で合致していますね。
(こちらのサイト 


が詳しいです)

さて、絵巻の場面に戻りましょう。

お堂の中ではご飯が配られ、お坊さんを中心に、様々な人々がご飯を食べています(^_^)
一遍も、お堂の縁側の中ほどにいます。日焼けして顔が黒いのが一遍です。
堂内を見ると、なんとっ!
国宝 當麻曼荼羅厨子がチラッと見えます。
本物と同じ漆塗りと螺鈿細工も描かれています。
あの厨子が、鎌倉時代から変わらず、そこにあったことがわかって感慨深いですねぇ〜

お堂の前のほったて小屋でも、貧しい人や病人も、ご飯の布施を与っています。




軸内納入文書【通期展示】

江戸時代 延宝5年(1677年)の修理の際に収められたもの。當麻寺所有の国宝……の一部です。

国宝 綴織當麻曼荼羅の下軸内部に、江戸時代の修理の際、収められたものです。
①修理銘
②願文(がんもん)
③当麻寺浄家(浄土方)修理銘
④当麻寺衆徒(真言方)修理銘
⑤当麻寺比丘尼修理銘
⑥善誉良廣(絵師)願文
⑦結縁交名7枚
⑧六字名号
が、展示されていました。

紙に墨書されただけの文書なので、あまり面白みはありません(^_^;)
今の當麻寺も、複数の宗派(浄土宗と真言宗)で運営されているので、江戸時代からそれが続いているんだなぁって、思いました。
當麻寺の塔頭寺院のうち奥院・護念院が浄土宗、西南院・中の坊が真言宗で、この4つのお寺が毎年変わりばんこで當麻寺の住職に就くのです。毎年宗派が入れ替わるんですねぇ〜


展示されている国宝の数は少なめでしたが、ひとつひとつをじっくり見ることができて、良かったです。

事前に、當麻寺にも行ってたのも良かったです(^o^)

ただ、レポートが遅くなって、前期が終わっちゃったのが、申し訳ない(^_^;)

後期も訪問予定ですので、またレポートしますね(^_^)/~~