京都御所「宮廷文化の紹介」<令和4年春>前編 | 死ぬまでにすべての国宝を肉眼で見る

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2023年12月現在の国宝の総数1,137件。そのうち、美術工芸品906件。これをすべて肉眼で見ようという計画です。関西中心の情報をお届けします。

京都御所へ行ってきました(^_^)/

京都市営地下鉄 今出川駅を下車すぐのところに、京都御所はあります。

過去に紫宸殿 



は、ブログ記事を上げているので、今回は特徴的な部分のみ、ピックアップしてレポートしたいと思います。
特に清涼殿へのルートが、前回記事 と異なるので、その辺を中心にレポートしま〜す(^_^)

では、レッツゴー♪♫


↑まずは、宜秋門番所にて、人形を用いた装束の展示。
↑男性の束帯姿。(ガラスの反射が……(^o^;)
平安時代以降の、男性の宮中での正装です。この写真では衣に隠れて見えませんが、
↑石帯(せきたい)という、石の飾りが付いた"ベルト"を締めています。
"衣"を、このベルトで"束ねて"いるので"束帯"と呼ぶんだそうです。ヘェ~
↑こちらは女性の正装、十二単。袖口や裾の"重ね"のグラデーションをいかにキレイに魅せるかで、着る人のセンスがうかがえます。
↑こちらは、御車寄(おくるまよせ)。
宮中に参内する、高貴な人達のための、玄関です。
↑こちらは新御車寄(しんみくるまよせ)。"御"の読み方が、"お"→"み"に変化しています。昔の車寄せと区別されています。古式を大事にする、宮廷文化の現れでしょうか。
大正天皇の"即位の礼"に際し、新造されたものです。そのため、窓がガラスになっていたりして、近代化が図られています。
↑その前には"牛車(ぎっしゃ)"。
こちらは江戸時代のものです。
牛車のタイヤは、もちろん木製。
だから、乾燥して、変形したり割れたりします。それを防ぐために、使わない時は、川に浸しておくのです。平安時代にはそれがよくある風景だったので、「片輪車」というデザインのモチーフにもなっています。参考 


紫宸殿に向かいます。
↑こちらが紫宸殿の玄関にあたる「承明門(じょうめいもん)」。
↑奥に見えるのが「紫宸殿」。その前には白砂の南庭(だんてい)が広がります。
ここで、即位の礼などの儀式が行われるんですね〜(令和の即位の礼もここですればよかったのに……)
「紫宸殿」に入る前に、こちらも見ておきましょう(^_^)/
↑承明門の前にあるのが「建礼門」。
"建礼門院徳子"の、あの"建礼門"です。
みなさん、アニメの「平家物語 


」見ました?
この間、最終回でしたよね〜
平清盛の娘 徳子は、高倉天皇に嫁ぎ、安徳天皇を産みましたが、壇ノ浦で源氏に滅ぼされ、安徳天皇は三種の神器とともにわずか6歳で海のもくずと消えました……
当時、上皇后が出家する際につけられる名は、御所の門からつけられるのが通例だったそうです。

さて、いよいよ「紫宸殿」です。
↑東の日華門から入ります。
↑左近の桜なめの「紫宸殿」。
左近右近は、天皇から見てです。だから、我々から見ると左右逆転しているんですね。(右京・左京と同じ理屈です)
↑右近の橘なめの「紫宸殿」。
↑18段の階段を登った正面に、
↑天皇がお座りになる「高御座(たかみくら)」が、
↑その右手に皇后がお座りになる「御帳台(みちょうだい)」が展示されています。(遠くて見えない……)
令和の即位の礼で使用されたものです。このままここで展示され続けるのかな(・・?
高御座・御帳台の後ろの障子が「賢聖の障子」です。中国の聖人達の絵ですね。(過去に京博で実物を見た 


ことがあります)
ちょうど、御帳台の後ろあたりに、諸葛孔明(右)と太公望(左)がいるはずです(^_^)

↑天皇気分♪で、南庭を見てみましょう(^o^)
おお〜、気分いいですねぇ〜臣下を並べてみたいですねぇ。


さて、このあと清涼殿に向かいます。

↑紫宸殿の西側から入ります。
このルートでは入ったことないぞっ!

次回へ、続くっ!