岐阜市歴史博物館「波濤を越こえて-鑑真和上と美濃の僧・栄叡-」 | 死ぬまでにすべての国宝を肉眼で見る

死ぬまでにすべての国宝を肉眼で見る

2024年9月現在の国宝の総数1,143件。そのうち、美術工芸品912件。これをすべて肉眼で見ようという計画です。関西中心の情報をお届けします。


を後にし、岐阜市歴史博物館 


へ向かいました(^_^)/

こちらで見られる国宝は、

・国宝 金光明最勝王経より巻第五
【~11/3まで】
・国宝 金銅獅子唐草文鉢
・国宝 興福寺中金堂鎮壇具より
 銀鋌(ぎんてい)
 ガラス平玉
 水晶六角柱
 瑪瑙念珠(めのうねんじゅ)
・国宝 伝衆宝王菩薩立像

の4件です。

岐阜で鑑真(がんじん)?って思ってたら「美濃の僧・栄叡」って付いてました。
栄叡(ようえい)は、美濃出身の僧で、鑑真招聘のために唐に渡った人物だとか。

岐阜との関連性、薄ぅ〜い(^_^;)

関連性が薄いためか、そのへん丁寧に解説していましたので、好感の持てる展示でした。

まず最初に、20分ほどのビデオを観るんですよ。
唐招提寺と鑑真、栄叡について関連性を頭に入れてから、展示品を見ていくという流れですね。


まずは聖武天皇の時代。仏教の力で国を治めようとする、聖武天皇の事績が、展示品で表されていきます。
全国に国分寺を作り、そこに納めるお経ってことで……
いつもの紫色のニクいヤツ……

・国宝 金光明最勝王経より巻第五
【~11/3まで展示】以後は巻八に展示替えされます。
出典:ColBase 
奈良国立博物館所有の国宝。奈良時代(8世紀)の作。

巻末1mほどを展示していました。
巻子(巻物)形式の"金光明最勝王経"というお経で、全10巻あるうちの1巻です。
紫色に染めた紙に金泥を用いて、1行17文字でしたためています。

1,300年以上前に書かれたものなのに金ピカなのを実見してください。
金泥を猪のツノでこすることによって、表面を平滑にしてこな輝きを出しているんです。

キレイな楷書で書かれていることにも注目。書かれている内容はわかりませんが、一文字一文字の漢字は、小学生でも読めます。

これが、日本の文化財の良いところ!
世界の多くの文化財は土中から"発掘"されます。だから紙の文化財なんて出てきません。
ところが、日本では多くの文化財は"保管"されていたもの。だから紙製の文書などたくさんあります。

さらに漢字で書かれています。漢字は日本では小学校から学ぶので、子供でも(意味はわからなくても)読めます!

地味な文書系の国宝は、そんな視点で見ていただくと楽しめるんじゃないでしょうか?(^_^)


さて、その後、聖武天皇は「大仏を作ろう!」と決意し実行します。
その開眼供養の際に用いられたのが、


・国宝 金銅獅子唐草文鉢(こんどうししからくさもんはち)
護国之寺所有の国宝。奈良時代(8世紀)の作。

托鉢のときに喜捨を受ける器ですが、銅製でゴールドに鍍金された豪華なもの。直径30cm弱の鉢で、線彫りで獅子を始めとする様々な意匠が刻まれています。


一応、独立展示ケースに入ってて、360°見られるんですけど、これが見にくいんですよ(^_^;)
わかりやすくするために、獅子のイラストも添えてあるんですが、とにかく薄暗いのでわかりにくいっ!
私、単眼鏡で頑張って見たんですが、イマイチわかりませんでした。
↑これ、獅子です。わかります?

ところで、なんで岐阜県にこの国宝 金銅獅子唐草文鉢があるのでしょうか。
それは大仏建立時に、美濃出身の子供"金丸"が活躍し、そのお礼にこの鉢を賜わったそうなんです。
子供なのにスゴイなぁ。でも、どんな活躍をしたかはイマイチ伝わってません(^_^;)


そして平城京が遷都された頃、興福寺の伽藍群も整備されていきました。

・国宝 興福寺中金堂鎮壇具より
 銀鋌
 ガラス平玉
 水晶六角柱
 瑪瑙念珠
東京国立博物館所有の国宝。奈良時代(8世紀)の作。
興福寺の中金堂建立時に、地鎮のために埋めたものです。

驚いたのは、普段東博の本館に展示されている物と違う物が展示されていたコトです(^o^)
↑東博での展示①
左下に"ガラス玉"があります。これが"ガラス平玉"のことで間違いないでしょう。総数524個もあるので、そのうち15個を岐阜に持ってきたのでしょう(^_^)
↑東博での展示②
こちらには、岐阜に持ってきているものは無い様です。
つまり、東博で普段展示していないものを見られたってことでラッキー!



時は流れて、日本にも仏教が広まってきました。お坊さんも増えてきたのは良いのですが、その質がイマイチ……

当時、お坊さんは税金が免除されたらしく、脱税のため僧侶になる不届き者が溢れていたようです。
この頃日本には、お坊さんの免許制度が無く、誰でも宣言すればお坊さんになれたのです。
これではイカン!と、朝廷は日本にも、ちゃんとしたお坊さんになるための免許制度を作るため、唐に遣唐使を派遣し「戒律」を授けることのできる高僧を日本に招聘しようとします。

この任に就き、唐に渡ったのが、栄叡(ようえい)と普照(ふしょう)という二人の僧でした。
そのうち、栄叡は美濃出身でした。
唐に渡った二人は、鑑真に「日本に来て欲しい」と依頼し、鑑真は快諾。
ところが5回渡航に失敗。視力を失います。しかし6度目に無事日本に到着。日本で戒律を広めることになるのです。

一方、栄叡は日本に帰れることなく、唐の地で亡くなってしまいました(^_^;)
しかし、栄叡の力で鑑真を日本に呼ぶことができた。この事は仏教のみならず、様々な分野で日本を発展させることになったのですから、栄叡の功績は小さくはありません。

鑑真は日本に戒律を広めるとともに、様々な文化を持ち込みました。
その代表的なものに"仏像"があります。


・国宝 伝衆宝王菩薩立像

唐招提寺所有の国宝。奈良時代(8世紀)の作。
2019年に6体合わせて1件の国宝として登録されたものです。ちなみに国宝指定名称は、「木造薬師如来立像一軀、木造伝衆宝王菩薩立像 一軀、木造伝獅子吼菩薩立像 一軀、木造伝大自在王菩薩立像一軀、木造二天王立像 二軀」
です(^_^;)長っ!

頭頂から蓮台まで、1本のカヤの木から彫られているそうです。
元は三目六臂。
↑額に第三の目があるの、わかりますか?
↑胸前で、ちょうちょ結びされているのは、鹿皮。
↑もう少し、横から覗き込めたら、6本手が生えてた痕跡が見られたんだけどなぁ〜
壁面展示でしたので、見えませんでした。

今までの2本の仏像には無かった、どっしりとした量感と、滑らかな衣文。鑑真とともに来日した仏師が制作したと考えられています。

さて、その後は常設展も見学。
↑あっ、小和田先生がいるっ(^_^)
名誉館長なんだそうな。

そして、帰途につきながら考えた。

伝衆宝王菩薩立像が岐阜にあるってことは、今、唐招提寺の新宝蔵にあるのは……