蟇の油 | ご機嫌菊龍気楽な毎日

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 前座になって3年もすると、オイラより上の前座が4人程辞めて行きました。そのお陰で立前座に出世しました。この頃は二つ目が多く、5~7年ぐらい前座を務めないと二つ目になれませんでした。オイラも6年位は覚悟していましたが、これで1年は縮まりました。
 そろそろ二つ目になるのだから『蟇の油』でも稽古をしようと、誰に稽古を頼もうか考えまして三遊亭好生(後に春風亭一柳と改名)師にお願いしました。当時は正蔵一門、圓生一門の方がこの噺を良く演っていましたンでね。
 好生師を選んだのは、マクラがみんなが演っている見せ物小屋風景の他に、ちょっと下ネタ小咄が付いていた事、口調に癖が無く(圓生師そっくりではありますが…)覚え易そうだったからです。
 76年7月21日、金町の好生師のお宅へ伺っての稽古です。初めてウチの師匠宅以外での稽古した。真打ちの方に稽古をお願いしても、大抵は協会事務所か寄席の楽屋でしたから。その後、師匠宅で稽古をしていただいたのは、志ん駒師、先代小勝師、先代志ん馬師のお三方だけでした。
 好生師は御酒を召し上がるので、日本酒を持って伺ったンじゃなかったかと思います。15時頃にお邪魔して、師匠は着物に着替えて稽古して下さいました。一席終り、細かい所の注意と仕草を幾つか見せて、40分程の稽古でした。覚えたら演っていいよ、上げに来なくてもいいからと言われ、その後ちょっと食事とお酒をいただきました。表へ出た時には、少し薄暗くなっていましたから18時を回っていたでしょうネ。
 我々の世界って不思議でしょう。噺はその人の売り物、商品です。それを只で教えてくれるンです。しかもご馳走までしてくれて。志ん駒師の時は、稽古の後青山まで飲みに連れてってくれ、帰りのタクシー代までいただいちゃいました。ですから教わった噺は大事に、そして次の世代へ繋げて行かなければと、そう思うのです。

(  2011年11月16日  )