道具屋 | ご機嫌菊龍気楽な毎日

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 入門した翌年に、二芝居(二十日間寄席に入る事)も大須演芸場へ出させて頂きましたが、その後師匠と一緒ではなく、直に呼ばれるようになりました。
 そして75年7月中席に四回目の大須に呼ばれた時に、今は亡き橘家文蔵師匠とご一緒になりました。文蔵師は、ウチの師匠ととても仲が良く、「雀の会」という麻雀クラブを作り、麻雀月例会や寄席の余一会、二人会等を企画したり、ネタの交換などをする仲で、オイラを自分の弟子の様に可愛がって下さいました。その文蔵師と一緒でしたので、噺の稽古をお願いすると、
『ああ、いいよ。カセットテープ(レコーダー)持ってンのかい。じゃァ、此処で演る噺、みんな録って覚えちゃいナ。今、出来ないのもあるだろうけど、その内出来る様になるから』
と言ってくれました。
『でも、そんな事言っても、今役に立つような噺じゃないと意味ないから、何演りたい?』
と言うので、
『え~、与太郎噺が無いので、「道具や」を…』
ってンで、初日の夜「道具や」の稽古をつけて頂きました。
『マクラで噺を延ばすンでなく、噺は噺そのもので延び縮みさせなくちゃいけないよ。だから40分の道具やを演るから、自分でこれを30分で演るなり、15分で演るなり、何処をどうすれば自然に延び縮み出来るか考えて演ってごらん』
 「道具や」が40分もあるなんて…これに与太郎のマクラを入れるともっと長くなっちゃいます。
 稽古は、「親子三人の馬鹿」から「酒粕」、「穴子でから抜け」をふって本題へ入りました。今じゃァ放送禁止用語の「麻や橙、傘っ柿」売りから「葉唐辛子」売り、そして道具の数々を並べます。そして荷を背負って叔父さんの家を出る所までで、実に30分もかかってました。
 これから店を広げ売り始めます。で、サゲは「お雛様の首が抜けます」で一応終了。テープを止めた後で、『この後に鉄砲まで演って、「ズド~ン」というサゲはあるけど、しつこくなるし、そんなにいいサゲじゃァないから、演ってもいいけど俺は演らないよ』
ってナ事でした。
 自分で噺を詰めるってぇのは、噺を良く理解しないと詰められません。何処が本当に要らないのか、どのくすぐりが良く受けるのか…でも、こりゃァ演ってみない事には解りません。やっぱり数ですよね、高座百遍とは良く言ったもンです。
 7日目に「穴子でから抜け」、8日目に「道具や」のネタ下ろしをし、この日から連日「道具や」を、高座にかけていました。


両国の『ギャラリーとく』さん、道具屋さんで道具屋を1席伺いました。