代脈 | ご機嫌菊龍気楽な毎日

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代脈
 この噺を教わる頃は、寄席へ見習いとして通い始めた頃でした。オイラ達の入門した頃は、人数が多くて、弟子入りしてすぐに寄席には入れず自宅待機なんてぇのがあったンです。それが約半年あって、74年の3月から寄席入りしました。
 噺とは関係ありませんが、見習い時代の事をちょっと書いておきます。
 寄席には昼夜4~5人ずつ前座さんが入っています。オイラ達は、胸に名札を付け前座さんの仕事を教わります。初めは下足番のようなもンですかね、二つ目さん、色物さん、師匠連の履き物の出し入れ、それに慣れて来るとお茶だしです。良く言われている様に、師匠によって熱い温い、濃い薄いと好みを覚えて出す事を学びます。やがて着物を畳んだり、太鼓(一番や二番)を叩かせて貰ったりします。勿論高座へも時々上がらせて貰いました。一ト月もすると、一人前の前座が出来上がります。
 見習い期間はどの位だったのか、ちょっと忘れましたが、結構長かったような気がします。だって、その時の寄席の給金というのが、一日百円だったンですよ。昼夜で二百円。8月に、落語協会の留守番というのがあって、それも一日百円でしたから、前座になれたのは9月からだったンじゃァないかな?
 話がワキィ行っちゃいました、すいません戻します。
 『代脈』は、そんな頃に習ったので、覚えるまでにちょっとかかりました。それまでの噺って、一週間もあれば高座にかけられるようなスピードで覚えていたのに、これは一ト月位かかったような…
 あまり好きな噺じゃァなかったンですね、きっと。まだ自分から、
「この噺教えて下さい」
なんて言った事なかったもンで、師匠がこれ稽古するかって勧められるままになっていたンです。(ひょっとすると、師匠が稽古し直してたンじゃァないかナァ?)
 ですからこの噺も、あまり演ってません。折角覚えたンですから、これから又演りますかね。あっ、でもマクラは役に立ってますね。医者の噺ですから、後に覚えた『ちしゃ医者』で随分使いましたァ。今は又、違ったマクラにしてますけどネ。

  (  2011年10月22日  )