以前SeesaaBlogで『噺の履歴書』というのを書いてました。そしてそれ等をforkNで纏めたのですが、forkNが無くなるそうで、落語関連のExciteブログに移動させようとした所、IDパスワードを忘れて継続出来なくなってしまいました。最近はこのAmebaばかり使っているので、落語関連もこちらで書いて行こうと思っています。
で、まずは40回程の『噺の履歴書』を転載致します。今日は第1回『たらちね』です。
『たらちね』
オイラは、今幾つ『噺(ネタ)』を持っているンだろう?一覧表の様なものなんか作っていないし、ネタ帳も揃ってない。覚える為に、噺を書くのだけれど、ノートだったりメモ帳だったり、レポート用紙に広告の裏、覚えてしまえば何処に行ったか解らない。なのでチョット整理をしてみようと思う。
1973年08月31日、師匠円菊に会いに浅草演芸ホールへ行った。これから弟子にして貰おうというのに、何とオイラは実は初めて師匠に会うのだった。此処ではゆっくり話が出来ないから、改めて家に来るよう言われて、09月06日に師匠宅へ伺った。師匠は翌日には来ると思って、もう名前も用意して待っていたのだが、一週間も来ないので、諦めたのだろうと思っていたそうだ。
この時、オイラはまだ学生で、学校へ通っていたので、週三日師匠宅へ通う事になった。先ずは掃除、洗濯、炊事、着物の畳み方、太鼓の稽古が日課となった。
10月に入り、初めて噺の稽古をつけていただいた。それが『たらちね』だった。
昼食が終わって、洗い物をしてボーッとしてると、
『菊次、噺の稽古をするぞ。そろそろ何か覚えンとな、寄席入ったら困るだろう』
と声をかけられ、いきなりの稽古だった。
『まァ、一度じゃァ覚えられないだろうから、何度でもやってやるからナ、いつでも言いなさい』
と、稽古のあとに言われた。
この噺は寄席でよく聞く噺なので、スジも台詞も大体の所は良く解ってる。寿限無じゃァないが、長い名前の件も解ってるので、覚えるのにはそう時間はかからなかった。二度目に師匠にやっていただいた後には覚えて、三日目、師匠の前で話した。それで上げていただいたのだが、マクラだとか、噺の工夫は幾らでも出来るのだから、常に稽古するンだぞ、と。
覚えたばかりの10月の末、いや、11月の頭だったかな?川崎のNECの女子寮で、師匠の独演会。その前座で初高座を踏んだ。
( 2011年10月12日 )
東北沢稽古会にて収録