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360度の幸せ

あなたの想いを全て叶えましょう
まずは小さな一歩から

城おさむです。

 

3連休です。

冷えてます。

一氣です。

服装で調節してます。

コーヒーも、冷コーからホットに変わって行きます。

私は基本的に、暑くてもホット派なんですが

たまにアイスにしたりします。

 

因みに「冷コー」とは

アイスコーヒーの事です。

 

冷たいコーヒーだから

冷コー

 

大阪弁です。

 

と、いうわけで

どうお過ごしですか?

 

 

日々生活していると、相手の気持ちを推し量らなければいけない場面が多々あります。

 

 

 

相手に対して

「何でこっちの気持ちを考えて発言しないの?」

「何でもっと気遣いが出来ないの?」

みたいなことを思う事がありませんか?

 

この時、この場ではどんなことが起こっているのでしょうか?

 

 

「なんでそんなことをするの?」

「なんでそんな言い方をするの?」

「なんでわかってくれないの?」

 

この図のように考えてしまうと、衝突だけが起きます。

 

この時の考え方は

「私は正しい。あなたは間違っている」

というものです。

 

SNSでの誹謗中傷が話題になる事が多いですが

誹謗中傷する人は

「自分が絶対的善である」

と考えています。

 

今は会社に対するクレームも多くありますが

私が実際に経験したケースでは

「あんたんとこの車がコンビニで休憩しとる。」

「〇〇というショッピングセンターの駐車場に車を停めた人が、あんたんとこの従業員に似とる。」

「あんたんとこの車があんなところを走っとる。」

というものがありました。

 

こうしたクレーム、あなたはどう感じますか?

 

こうしたクレームをする人は、ただ暇なのもあるでしょうが

「私は電話で、あなたのためを思って、わざわざ教えてあげているんだ。これは、善行だ。」

と、思っているのでしょう。

 

 

 

では、次のように考えたらどうでしょうか?

 

 

「どうしたいの?」

「何がしたいの?」

「何をしようと思っているの?」

「何を言おうとしているの?」

こうした気持ちは、相手の立場を尊重したものです。

 

 

 

このふたつのケースを比べた場合

この世の中が、うまく回るためにはどちらの方がいいでしょうか?

 

 

利己

利他

という言葉があります。

前者は、「自分が良ければそれでよし。」

というもの

後者は、「私もいいけど、あなたもいい。」

というものです。

 

私は現在、滋賀県に住んでいるのですが

滋賀県は「近江商人」の地です。

近江商人には、次のような信念があります。

「三方よし」

 

三方とは

お客

地域

の三つです。

 

簡単に言えば、

商売だから、自分が儲けるのは当然。

しかし自分が儲けるには、お客に満足していただくのは当然。

そして、商売をさせていただくには、地域の理解を得るのが当然。

という考え方です。

 

これは商売に関する考え方ですが

実は、商売だけでなく

私たちの日常生活においても非常に有効な考え方なのです。

 

つまり

「私は満足」

「あなも満足」

「第3者も満足」

という事です。

 

私が自己主張するだけではなくて

相手のことも考え

そこで得られる利益は、自分が所属している団体にまで波及する。

そうすることで、みんなが幸せに向かっていくことが出来ます。

 

これを「きれいごとだよ!」と、断罪するのはとても簡単です。

 

ただ、頭で考えた時

自分の利益だけを考えて行動すると、どんな結果になるのかは簡単に想像出来るでしょう。

 

同様に、触れ合う人それぞれにとってどうなのか?という事を考えて

相手の気持ちに寄り添った言動をしていくとどうなるのか?

という事も、簡単に想像出来ると思います。

 

そして、私とあなたが気持ちよく、幸せに、満足を得られた結果として

自分が所属している団体にも利益が波及するという事も

想像しやすいのではないでしょうか?

 

私たちは、多くの団体に所属しています。

 

家庭

地域

会社

学校

趣味のサークル

習い事

友達

仲間

などなど

 

こうした団体の中で、自分勝手な行動をする人は嫌われます。

人を蔑み、自分の立ち位置を確保しようとする人も嫌われます。

 

簡単な例で言うと

何人かでご飯を食べに行った時。

大皿で料理が出てきました。

こんな時、真っ先に自分の分以上にごっそりと取る人がいます。

「これ、好きなんだよ!」とか何とか言いながら。

 

ただ、自分が好きなのはいいのですが、多く取る分

他の人の分け前は減ります。

すると、他の人は満足を得られず

その場も悪くなり

その団体にはいや~な空気が流れます。

欲張りな人をきっかけに、その団体は崩壊するかも知れません。

 

というようなことが、日々、私たちの身の回りでも起きているはずです。

そして、自分が他の人をいや~な気持ちにさせるきっかけになっている可能性もあるのです。

 

 

 

自分の気持ちを蔑ろにしろ、と言ってるわけではありません。

ただ、この世は自分一人の世界じゃないよ、という事です。

ビジネスで最近、やたらと

 WIN ー WIN

と使われますが、それは当然のことなのです。

 

それどころか、これからは

 WIN ー WIN ー WIN

でなくてはいけないのです。

 

何故なら、商売の取引の先にあるのは、お客だからです。

 

そしてお客の先には、それぞれの家庭があり

それぞれの地域があり

それぞれの所属団体があり

都道府県があり

国があり

地球があり、と

その先の世界はどんどん広がって、繋がっているのです。

 

そう考えると、実は

 WIN ー WIN ー WIN ー WIN ー WIN ・・・

と、どんどん繋げていくことが大切だという事がわかるとおもいます。

 

ひとりひとりがこのように考えていくことが出れば

今のようにギスギスした世の中にはなりにくいような気がしますが、どうでしょうか?

 

 

 

もっと、人に寛容な社会になればいいなぁ、と

思っております。

 

 

 

城おさむでした。

 

 

 

城おさむです。

 

「苦しい時の神頼み」

という言葉があります。

 

よく、日本人は無宗教だと言われますね。

ところが私たちは

年始には初詣で神社やお寺にお参りします。

お盆には先祖を迎えます。

お彼岸には墓参りに行き

受験や願い事を祈願し

死んだときにはお経を上げたり

クリスマスにはパーティーをしたり

と、いろんな形で宗教的な行事をしています。

 

実際、日本には8万以上の神社と

8万弱の寺院があります。

その他の宗教施設を合わせると

なんと、21万を超えるそうです。

ただ、これは集計されている数なので

実際にはもっと多くあると考えられます。

 

日本には、もともと神道があったとされています。

日本書紀や古事記を読んでもわかる通り

日本には、非常に多くの神様がいます。

八百万というように、本当に多くの神様です。

ありとあらゆるものに神性を見出すのも、日本の特徴です。

一粒のお米にさえ88の神が宿るとされています。

また、山や川、木や岩など、自然の存在にも神を見出します。

人の魂は、神の分御霊とされ、人間そのものが神であるとも解釈されます。

神社のご祭神も様々で、神話の神様だけでなく

人が死んで神として祀られることもあります。

また、蛇やキツネ、はては男女の性器でさえ、神としてあがめられたりしています。

 

このような宗教観を持つのは、恐らく日本だけです。

 

多くの宗教は、唯一絶対神が存在していて

人は神を畏れ、感謝し、全てを委ねます。

 

 

さて、こうして考えると、私達の日常は

神や仏とともにあると言えます。

 

私達も、困った時や苦しい時

神や仏にすがる事があります。

 

 

ところで、神や仏は本当に存在しているのでしょうか?

 

 

例えば仏は、数多くの仏がいて

仏像としてその形を残しています。

(実際にいるいないの話ではないですよ。)

 

では、神は?

 

確かにご神体として山や木や岩があったりしますが

多くの場合、ご神体として祀られているのは

です。

 

ご神体をのぞき込んでも、自分の姿が映るだけです。

 

 

実はこれには意味があって

か・が・み

 

「か・み」

の間に

「が」

がいます。

 

つまり

の間に存在しているのは

という事です。

 

言い換えると、自分自身が神であるという事であり

自分自身は神の分御霊であるという事です。

 

 

しかし当然、それが神がいることの証明にはならないでしょう。

 

では、神や仏は本当にいるのか?

 

 

私にはそんな能力がないのでわかりませんが

私はいると信じているもののひとりです。

 

ただ、いることは証明できないけれども

いないという事もまた証明は出来ません。

 

「目に見えないから無い」

という考え方は、非常に非科学的です。

 

じゃあ、空気は?

磁力は?

風は?

人の気持ちは?

 

 

ひとつ、非常に不思議なことがあります。

それは、今の科学力でも

「0から命を生み出すことは出来ない」

という事です。

 

葉っぱの1枚も、です。

 

 

という事は、もしかしたら

ここに非常に大きな真理が隠されているのかも知れません。

 

いや、何もないかも知れませんよ。

でも、無いとも言い切れない。

 

 

仏教では、人がこの世に生まれてきたのは

前世のカルマを清算するためである、とか

魂として成長するためである、とか

色々と言われています。

 

それも本当かどうかはわかりません。

 

わかりませんが、この世に命があるという事

オスとメスがあるという事

生物に多様性があるという事

そもそもこの世が存在しているという事

 

もしもそれらの事に何の意味もなければ

先日お話ししたように

「生きてる意味が無い」

という事になってしまいます。

 

 

もちろん、何にでも意味を見出す必要もありませんし

恐らく人間にも、そんなことはわからないでしょう。

 

そもそも神や仏がいるとして

どっちが上?とか

どうやってこの世を創ったの?とか

そもそも元々の創造主は、どこからやってきたの?とか

無って何?とか

考え始めると、気が狂いそうになります。

 

かといって、神や仏がいないとして

じゃあ、この世はどうやって出来たの?

というようなことを考えると、答えは出せません。

 

科学的に、物質がどうのこうのとかの説明は出来ますよ。

「僕たちは星のかけらで出来ている」

というように、ただ、分子と電子の配列の違いで物質が分かれているだけですから

物質としての人の体とかを合成することは可能です。

実際にはまだ、そこまでの科学力は有していませんが

理論上は可能なのでしょう。

 

でも、現時点で、命を人が創り出せないのは、何故?

 

もしかしたら、そこには非常に強固なカギがかけられていて

人間が触ってはいけないことなのかも知れません。

 

じゃあ、そのカギをかけているのは、誰?

 

 

いつも以上に、よくわからんお話でしょ?

 

 

でもまあ、秋の夜長に

こんな変なことを考えてみるのも楽しいかも知れませんよ。

 

え?

楽しくないって?

 

それは大変失礼いたしました。

 

 

では、また。

城おさむでした。

城おさむです。

 

この週末はお天気が良くて

良かったですね。

風水害の復旧に取り組んでいらっしゃる地域もあり

また、今朝は九州で大きな地震がありと

災害列島日本ですが

少なくとも天候がいいに越したことはありません。

こういう時、安易に言葉を掛けられないし

どんな励ましの言葉を投げ掛けても自己満足になるだけの様な気もします。

せめて、心だけはそばに寄せさせてもらい

自分に出来る範囲で力を出そうと思っています。

 

さて、私たちの日常生活では、様々な出来事が起きています。

いいこと

わるいこと

問題

悩み

困難

トラブル

などなど

 

いいことならいいのですが、そうでない場合

私たちは解決策を模索して悩みます。

その時、答えがひとつに決まっているのならいいのですが

残念ながら社会で起きる問題の答えは、ひとつではありません。

 

例えば政治。

政府が色んな政策を打ち出しますが

それに対して私たちはそれぞれの立場から

様々な意見を述べています。

 

それはなぜかというと

答えがひとつではないからです。

 

「いや、城おさむよ。それは違うぞ。科学では答えはひとつだぞ!」

 

そんな声も聞こえてきそうです。

 

今現在、答えが出ているような事柄があります。

1+1=2

のような問題なら、答えは簡単です。

ところが私たち人間がこの世について知っている事は

ほんのわずかなのかも知れません。

 

例えばこの地球上で、未だに新種の生物が発見されるという事実。

身近にある海の中

いつも見上げている空

空の先にある宇宙

人の命

人間の体

人間の心

 

まだまだ分からないことだらけです。

 

「そうはいうけどよぉ、お前、色んなことがわかってるじゃねぇかよぉ!」

 

うん。

そうなんですよ。

色んなことがわかってるんです。

ただ、それは、現時点の人間のレベルでわかる範囲での

最適解

なのかも知れないんですよね。

 

例えば昔、天動説が永く信じられていました。

ところが実際に動いていたのは、地球でした。

 

時代の価値観

人間の能力の向上

科学力の発展

などによって、既知の事実が覆されることがあります。

このことは、正解がひとつではないという事を示しています。

 

私たちの仕事に置き換えると、更によく理解できると思います。

 

お取引先に対してプレゼンをするとき。

A社に対して有効だった内容が

B社に対しても有効であるとは限りません。

 

また、A社のOさんには響いても

Pさんには全く響かないなんてこともザラにあります。

 

セールスマンの方、自分で商売をされている方は

日々、このような事実に直面している事でしょう。

10人お客さんがいれば、10通りのアプローチを考えるものです。

もしも正解がひとつなら、セールスレターを書いて渡せばいいんです。

リモートでアバターに文章を読み上げさせればいいんです。

 

ネットではセールスレターがセールスマンとして働いてくれますが

反応率は1%とかですよ。

優秀な人で3%とか5%

野球の優秀なバッターでも3割ですが

セールスレターで3割行ったとしたら、それは伝説のセールスレターになるでしょう。

 

それはなぜかというと、正解がひとつではないからです。

 

 

テレビで、カラオケ番組をよくやっていますね。

今もやっていました。

嫌いだからすぐ消すんですけど

あれも、正解をなぞるだけのものですよね。

 

決められたピッチ

決められた音程

決められたリズム

 

それを正確になぞれると、高得点。

ずれると、原点。

 

面白いのが、自分の曲を歌った歌手が

必ずしも高得点ではないという事。

 

じゃあ、その歌手は下手かというと、決してそうではない。

むしろ味があったりする。

 

それはなぜかというと

正解がひとつではないからです。

 

楽譜通りが政界ではないという事。

 

そうじゃないと、演奏者によっての味なんて出やしません。

 

もしも正解がひとつだったら、コンクールなんて必要ないんです。

パソコンに打ち込んで

「ああ、いい曲だなぁ…」ってやってればいい。

 

でも、実際は、そうじゃないでしょ?

 

 

「最近の若い子は…」と言うと、途端にオヤジ臭くなるのですが

気になっている言葉があります。

「そんなの意味が無い」

「やっても無駄」

「何のためにやるの」

 

つい先日もお話ししましたが、正解がひとつしかないと思い込んでいると

このような発想になるのかな?と、思います。

 

あと

効率とか

見返りとか

生産性とか

 

そういえば食戟のソーマという料理漫画で

主人公のソーマは、こう言ってましたね。

「正解がひとつしかないとつまらないだろ」

 

これは、料理が全てという日本最大の料理学校の中で

色んな発想で失敗と挫折を繰り返しながら成長していくソーマに対して

学園総裁の孫娘であり超エリートのえりなが問いかけた

「どうしてそんな発想を思いつくの?」

に対する回答です。

 

ハッキリ言いますが、やる前から答えなんてわかりません。

うまくいくかも知れないし、失敗するかも知れない。

もしも今現在成功だとわかっている道だけを

更に叩きながら歩きたいのなら、それでもいいと思います。

 

ただ、人間としての成長を望むのなら

イバラの道に踏み出すことも、時として必要になるものです。

 

 

ジャンプ+で毎週土曜日に連載されている2.5次元の誘惑という漫画

この最新話が、ちょうど今日お話ししているような内容でしたので

お読みいただいてもいいかと思います。

 

 

そういえば、先日お亡くなりになったアントニオ猪木氏が

こんな言葉を残されていますね。

「迷わず行けよ。行けばわかるさ。」

私はどちらかというとアンチ猪木なんですが

彼の残された言葉の数々は、本当に素晴らしいと思います。

「元気があれば、何でも出来る。」

実に、惜しい方を亡くしてしまいました。

ご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

という事で今日は

正解はひとつ

というお話でした。

 

それでは明日からの1週間。

お互いに頑張りましょう!

 

城おさむでした。