360度の幸せ -3ページ目

360度の幸せ

あなたの想いを全て叶えましょう
まずは小さな一歩から

城おさむです。

 

今日、夕方ぐらいから

金木犀の香りがしてきました。

 

突然に来ますね。

いつも。

どこからかはわからないんですが

香りが来て初めて

その存在に気付きます。

 

金木犀って言うと

どうしてもトイレのイメージですが

私は好きですよ。

甘くて、何となく高貴な感じがします。

外来種なんですけどね。

 

季節は確実に深まっているという事ですね。

 

 

さて、あなたも一度は聞いたことがあるであろう言葉

「努力は必ず報われる」

 

あなたはこの言葉について、どう思いますか?

 

 

これはある面では真実であり

ある面では嘘でもあります。

 

 

ちびっこゴルファーの弥勒ちゃんって、ご存知ですか?

あるいは、イチロー氏。

また、大谷翔平選手。

 

皆さん、共通して、あるキーワードを付けられています。

 

それは

「天才」です。

 

 

それはある意味では、正解なのでしょう。

でも、本人たちは、決してそう思っていないはずです。

 

天才と呼ばれる誰か(すいません、忘れました)が

「天才って言われると、腹が立つ。じゃあ、俺の努力は何だったんだ?」

というようなことを言っていました。

 

人の才能を

「天才」の一言で片づけるのは簡単です。

でも、その時

私たちは非常に大切なことを見落としています。

 

弥勒ちゃん然り

イチロー氏然り

大谷選手然り

 

そう。

「努力」です。

 

「1日中練習していた」

と言う人は多いと思います。

部活に入っている人で、そんな経験をした人は

非常に多くいるはずです。

 

私もその一人です。

 

体育系に限らず

文化系でも非常に厳しい練習を重ねているところがあります。

吹奏楽部なんかは、体育会系文化部なんて言われたりもします。

 

そのように、努力を重ねている人が多いにもかかわらず

ほんの一部の人しか成功できません。

 

しかしその一方で

「努力は必ず報われる」

と言われているのです。

 

 

おかしいですよね。

 

 

私も大好きな漫画「メジャー」

主人公の茂野吾郎は、高校野球の名門「海堂高校」に進学します。

一般入学組の吾郎は、レギュラーを目指して鍛えられます。

しかしその練習は非常に厳しく、辞めていくものが後を絶ちません。

ある時、吾郎と同室の部員が辞めようと思い

吾郎にこう言います。

「俺のスパイクをもらってくれ。もういらないから。」と。

吾郎は、有難くもらいます。

そして、こう言いました。

「3足目を掃きつぶしたところだったから、助かるぜ。」

 

辞めようとしていた選手のそのスパイクは、1足目。

対して吾郎は、既に3足履きつぶしていたのです。

 

吾郎はこう言いました。

「他人にやらされてた練習を、努力とは言わねえだろ。」

 

 

「努力は必ず報われる」

この言葉は、報われた人のみが言える言葉です。

そして、報われた人は

普通の人が想像を絶するような努力をしているはずです。

 

先の弥勒ちゃん然り

イチロー氏然り

大谷選手然り

 

宮本武蔵は、こんなことを言っています。

「日常を非日常に 非日常を日常に」

また、武道の世界では、こんなことも言われます。

「日常生活が稽古である」

 

弥勒ちゃんも、ゴルフだけではなく

ピアノや水泳やそろばんなどもやっているそうです。

釣りなんかもするらしいですよ。

で、普通なら

「そんな余計なことをする時間は無駄だ!」とか

「もっと(ゴルフの)練習をしなきゃ!」

なんて思うのかも知れません。

 

しかし、先ほどの武道の言葉を借りれば

どんなことをしていても、それはゴルフの練習につながる

というわけです。

 

イチロー氏が選手の頃

日常生活の全てをルーティーンにしていたのは有名な話です。

 

大谷選手も、ジャパンのメンバーに選ばれたときの話ですが

「1日中バットを握っていた」そうです。

彼は野球が恐らく大好きで、きっと1日中

野球の事ばっかり考えているんでしょう。

 

「努力」の形には違いはありますが

3者とも

「常人にはとても真似できない」

程の努力をしていることは、間違いありません。

 

そんな努力だから報われたのでしょう。

 

もちろん、生まれながらの才能という問題はあると思います。

ただ、才能のみで成功を収めたとしても

多くの場合、瞬間風速で終わる事が多いようです。

 

長く成功を収めている人は

すべからく努力を重ねています。

 

 

努力は必ずしも報われません。

 

「だったら、努力なんて、無意味じゃん!」

と、思いますか?

 

報われるから、努力をしますか?

報われるから、生きていますか?

じゃあ、努力していた時間は、無駄でしたか?

 

あなたの報われなかった学生時代の努力。

それは全て、無駄でしたか?

 

報われなかった仕事での努力。

それは全て、無駄でしたか?

 

 

ハッキリ言います。

 

努力が無駄だという考え。

 

実は、「無駄だ」という思いそのものが「無駄」なのです。

 

「無駄」だと思った時

その全ては意味を失ってしまいます。

しかし、あなたの体には

あなたの心には

その「無駄」だった時間があなたに与えた「何らか」を残しているはずです。

 

体力が付いた

忍耐力が付いた

技術が向上した

友達が出来た

充実した日々を過ごした

いい思い出になった

自分なりに精一杯打ち込んだ

 

 

イチロー氏は、こんなことを言いました。

 

「小さいことを重ねることが、とんでもないところに行くためのただひとつの道」

 

 

やっているときは、「無駄だ」と思うかもしれない。

やっている事と何の関係もないかも知れない。

毎日カレーを食べると、野球がうまくなるのか?

ジンクスを守ると、成績が上がるのか?

食事に気を付けると速く走れるようになるのか?

 

もしも「意味が無い」と思うなら、辞めればいい。

そして、他の事を考えればいいし、他の事をやればいい。

 

ただ、小さいことを日々

愚直に積み重ねることは、果たして、本当に意味が無いのか?

本当に、無駄なのか?

 

やる前から、結果が出る前から

「無駄だ」と、あなたに本当にわかるのか?

 

私たちの人生で、万人に共通して

既に結果がわかっている事があります。

 

それは

「人は必ず死ぬ」という事です。

 

だったら、人生は全て無駄なのか?

無駄なのに、何故子孫を残すのか?

人間は、何故恋愛するのか?

何故、結婚するのか?

 

全て無駄なのか?

 

 

今日の話に、結論は出せません。

 

仮に今、私が結論付けたとしても

それは、私にとっての正解であって

あなたにとっての正解ではありません。

 

また、私にとっても

現時点での最適解であって

未来永劫その答えが最適であり続けるという保証はありません。

 

 

ひとは、変わって行くものなのです。

 

 

というわけで、今日は

「努力は必ず報われる」というお話でした。

 

消化不良のまま

終わりにします。

 

 

色々と考えていただけるといいかと思います。

 

そもそも、今日の話を最後まで読んだ方がいるとも思えません。

もし、あなたが最後まで読まれたなら

心から感謝します。

あなたを尊敬します。

 

私なら、読みませんよ。

こんな話。

 

 

この時間は、無駄でしたか?

 

 

城おさむでした。

 

城おさむです。

 

いい天気です。

秋晴れです。

最高です。

久しぶりです。

いい気持ちです。

 

この2週間。

天候に悩まされた週末でした。

被害はありませんでしたか?

 

こういう自然の力を目の前にしたとき

結局人は無力なんだなぁ、と実感します。

 

だから自然を敬い、うまく怖れ

大切にしながら生きていかないといけないのだろうと思います。

 

この地球上で、人間はさながら神のように振舞っています。

 

自然を支配した

科学は全てを理解した

人は全能である

 

それを「驕り」と言うのでしょう。

 

これはなにも自然だけに対する姿勢ではありません。

 

目の前の人に対して、あなたはどんな態度で接していますか?

 

目上の人と目下の人

態度が変わる事はありませんか?

 

近年、店員さんたちに対して

尊大な態度を取る人の話題をよく聞きます。

「お客様は神様です。」

これを勘違いしている人が多いのでしょうか。

 

私は商売のコンサルタントが本職なのですが

「お客様は神様です」

この言葉は、実は、商売に対しての言葉ではありません。

 

故三波春夫氏の決めゼリフ

「お客様はぁ~ 神様です!」

これが起源となっているようです。

 

ついでにお話ししておくと

店舗とお客

これは1対1の関係です。

決して店舗は顧客の奴隷ではありません。

お互いに1対1だから

店舗は顧客の為に知恵と工夫を凝らし

顧客は対価として正当な金額を支払う。

 

それが商売のあるべき姿なのです。

所詮商売は、物々交換でしかないのですから。

だから店舗側が必要以上に顧客をのさばらせる必要はないのです。

正当なサービスを提供し

不当な要求は拒否していいのです。

 

「SNSに投稿されるから…」

 

そんなことも気にしなくていいのです。

時代的に、口コミを信用している人

判断材料にしている人が多くいます。

何と、就職先を選ぶときにでさえ

口コミで決める人が3割ほどいるようです。

 

全ては自分なのです。

 

SNSで左右されるような客は、所詮あなたのお店のお客ではないのです。

それぐらいの考え方でいいのです。

その方が、あなたのお店が

本当にお付き合いしたいお客を

本当に大切にしながら

お店の信用・信頼度を高めながら

地に足をつけながら歩んでいくことが出来るのです。

 

商売の話はこれぐらいにしておきましょう。

 

再度、あなたにお聞きします。

 

あなたは、目の前の人に対して

どのような態度で接していますか?

どのような態度で接するように心がけていますか?

 

目の前の人の扱いは、自分自身の扱いです。

人を雑に扱う人は、自分自身をも雑に扱っている事と同じなのです。

 

ただし、この世の目に見える現象で言えば

人を雑に扱っている人は

自分自身に甘い人が多いようです。

一見すると、自分を大切にしているように見えます。

ところがこれは、本質的には自分自身を雑に扱っている事と同じなのです。

 

何故なら、人としてのステージが上がっていかないからです。

 

人がこの世に生まれてきた目的の一つは

「魂の成長」

だそうです。

 

魂の成長とは、現世での人間性の成長です。

前にもお話したことがありましたが

人は成長するにしたがって世界を広げていきます。

と、数字は大きくなっていきますよね。

この数字を、人の数だと思ってください。

1は、自分だけのことを考えている状態。

自分自身に甘い状態。

自分中心で生きている状態です。

この状態がまさに、自分を雑に扱っている状態です。

 

2は、自分と誰か。

例えば恋人や配偶者。

これもまた「自分たちだけ良ければいい」

と思っている状態。

 

3は、自分と誰かと誰か。

 

4は、自分と誰かと誰かと誰か。

 

5は…

6は…

7は…

10は…

100は…

1000は…

 

と、数字が大きくなるにしたがって、考えられる人の数が増えていきます。

こうして人は、魂を成長させていくのです。

 

その為にどのように考えて、どのように行動していくのか。

という事を考えてみて下さい。

 

と、このように考えていくと

人を雑に扱う事の罪深さがよくわかると思います。

人を雑に扱う事が、自分自身を雑に扱う事と同じであることがよくわかると思います。

 

更に人だけではなく、視野をどんどん広げていってください。

 

ごみのポイ捨てがなぜいけないのか。

水の無駄遣いがなぜいけないのか。

ご飯を残すことがなぜいけないのか。

 

色々と考えてみて下さい。

そして、何より大事なのが

行動する事

 

 

ぜひ、やってみて下さい。

 

 

城おさむでした。

 

 

城おさむです。

 

今日は暑い1日です。

 

 

昨日は満月でした。

木星が付きに寄り添うように輝いています。

 

ところであなたは、満月はお好きですか?

 

満月もいいのですが、その前後にも風流を見出す日本人。

 

ユーミンは、14番目の月という歌を歌っています。

そして今日は、十六夜。

 

なんか、いい響きだと思いませんか?

「いざよい」

 

イザ!

良い!!

 

まあ、それはいいとして

なんでもかんでもピークだけがいいというものでもないのかもしれませんね。

 

新月は、これから満月に向かい

満月は、これから新月に向かいます。

 

これから満ちていく方がいいのか。

これから朽ちていく方がいいのか。

 

新月を朽ちていくと言ってしまうと

新月には申し訳ないですかねぇ。

 

 

桜も満開もいいですが

散ってゆく桜もまた風流。

 

 

もののあはれ

 

ではないですけど

ピークを過ぎて、これから朽ちてゆく

そんな姿もまた、美しいものです。

 

 

私も人生の折り返しを過ぎています。

 

そんな私もまた、美しい…のかもしれませんよ。

 

 

一時、「美魔女」なんてものが流行ったりしましたね。

「アンチエイジング」に勤しんでいる方もいるでしょう。

 

それはそれで、大変すばらしい努力だと思います。

だからやりたい人はやればいい。

 

 

ただ、年齢を重ねる事は、悪ではありません。

 

満月を迎え、これから新月に向かう。

その姿もまた、美しいものです。

 

人は、年を重ねるごとに美しくなっていきます。

様々な人生経験を重ね、内面を積み重ねていく。

 

そこに私は、とてもじゃないけど、悪を見出せません。

 

年を取る。

それは、悪でも、醜いものでもありません。

 

 

それを「悪いもの」として捉えるから抗おうとする。

自然なものとして受け入れて、共存する。

 

それはまるで、人類に対する病気の様なものなのかも知れません。

 

 

私もこの年になると、体中の至る所が痛かったりします。

若いころ、バリバリの体育会でしたので

あちこちを痛めています。

心は若いつもりでも、老いは確実に体を蝕んでいます。

 

でも、それはそれ。

その上で尚、自分は健康だと思っています。

実際、健康診断の数値は、決して悪くありません。

風邪もここ数年、全く引いていません。

新型コロナウイルスにも罹っていません。

因みにワクチン接種はしていません。

 

まあ、だからどうだって話なんですが

受け入れるのも大事なんじゃないかなぁ…

というお話ですね。

 

 

若い方は、年寄りの与太話だと思っていただければそれで充分です。

 

 

と言うわけで、今日は

「朽ちてゆく美しさ」

 

というお話でした(笑)

 

 

それでは、またお会いしましょう。

 

城おさむでした。