昨日発売の週刊文春、昨日書いたM-1のウエストランドの話題もありましたね、、
そして、連載が再開された「ジュリーがいた」
沢田研二ルネッサンス②はドンジャンのことも書かれていたので、コンビニでみつけて購入。じっくり読むことにしようか、、、
この連載、コアなジュリー女子には物足りないといったところでしょうが、一般ピープルやジュリー祭りで初めてライブを観たにわかジュリーファンにとっては興味深いところですね。
最終章が開幕した「沢田研二ルネッサンス①」
冒頭
1984(昭和59)年、マドンナの♪ライク・ア・ヴァージンとマイケル・ジャクソンの♪スリラーが世界的にヒットした年で始まる、、、
著者の島崎さんにとって、この年は政治や社会問題はよりも印象に残っていたのでしょうか、、、
グリコ森永事件の年でしたが、、、
この年の紅白歌合戦での歌唱は♪AMAPOLA
この後、次に歌った田原俊彦が前の演出の余波で足を滑らせ、ジャニーさんやメリーさんに沢田研二さんとスタッフが謝りに行ったとか、、、、
へぇ、ジュリーの後に田原俊彦が歌ったのか!
怖いもの知らずですね(笑)
♪AMAPOLAは映画の主題歌、加瀬邦彦さんの依頼で訳詞が湯川れい子さん、フルオーケストラで初めて歌ったとか、、、
湯川れい子証言では、クラシカルな陰をもたせようと、わざわざ字余りの歌詞にしたとか、、、、
♪AMAPOLAのジュリー歌唱、聴きたくなるではないかw
独立を共にした男
沢田さんの個人事務所設立についていった大輪茂男、井上堯之バンドのマネージャーをしていて、息子にたかゆき(貴之)と命名したとか!
その心境、なんとなくわかりましたが、、、
去る者は追わず
去る者とは木崎賢治P、証言では大輪Pはフランス、木崎Pはアメリカンポップスの方向性の違いとのこと。ジュリーWithワイルド・ワンズで再び手を組んだとか、、
やはり、加瀬邦彦さん、ジュリーへの愛情を再認識しましたね、、、
「続けられるんやろか」
CO―CoLOの事務所名の由来、原案は中井さんで、ココロ~COCo-LOは、Coca-Colaじゃないかとの話は笑えましたが、、、
そして、♪灰とダイヤモンド、独立後の初シングルとエピソード
なんでこの題って、気になっていて調べたので、何となく記憶にございます。
この映画、チブルスキーのカッコよさ、、、
歌に対して飢えた状態で
1986(昭和61)年1月、新しいファンクラブ会報誌が創刊
名前が「不協和音」だったとか、、、、
そして、7月からの「架空のオペラ」蜷川幸雄演出で雨に打たれて歌っていたのか、、、
歌への熱い思いを取り戻して、三十七歳のジュリーが歩き出した。がシメでしたね、、、
それにしても、架空のオペラライブ、観たかったんだなぁ、これが、、、
いやぁ、まいったなぁ