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セラピストだより 2024年7月15日号
可も無く不可も無し
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「可も無く不可も無し」という言葉があります。
これは禅語として用いられることがあります。
『広辞苑』をみると、
①[論語[微子]]よいとか、悪いとか決めつけたことがない。
言行にゆきすぎや不足がなく、適切であること。
②特によくもわるくもない。平凡・普通であること。
という意味が書かれています。
一般的に②の意味で使われることが多いのではないでしょうか。
「この出来事は、可も無く不可も無しだね」とか人に対しても言いますよね。
「あの人は可もなく不可もなくだね。」と。
ここに書かれているように、元々『論語』微子篇にあるものです。
元花園大学の名誉教授でもあった平田精耕老師は、『禅語事典』で
「なすべきこと、またはよいと決めこんだこともなく、なしてはならないこと、
または悪いと決めこんだこともない、初めから何も決めてはいけない。」
とおっしゃっています。
よく言われる禅での鍛錬の仕方ですね。
つまり、可にも不可にも、何ものにもとらわれない執着心を払拭した境地。
更に平田精耕老師は
「人間の世界というものは、楽があったら、その陰には必ず苦があり、苦があったら、その裏側に必ず楽があるというようにできているものです。
ですから、非常に苦しんだあとには、ああ苦しんだといって、苦しみが解放されたき、そのときが楽しいときなのです。楽しみ方はいろいろありますが、楽しみはいつまでもつづくものではなく、長くつづかないうちにその楽しみが消えてしまいます。
その消えたときがまた苦しみのはじまりなのです。
苦しみというものと楽しみというものは、別々にあるものではありません。
ですから、仏教では苦楽一体ということをやかましくいうのです。
そういう苦楽一体の世界を、可もなく不可もなしと表現しているわけです」
と説かれています。
私たちはこの世に生きながら「ままならないことが人生だ」ということを学びながら
生きています。
全て自分の思う通りに生きられたら魂の成長がありませんからね。
だから程よいように、色々なことが起こるのです。
程よいように、と今自分で書きながら、自分の人生程よくなかったな、と
笑いながら書いております。
これからも程よいとは程遠い道のりになるかもしれませんが、
ああ、これもカルマが消えゆく姿と思いながら、周りの人たちを助け、
助けていただきながら最期まで全うしとうございます^^