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セラピストだより 2026年5月8日号
自己の神性講座
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あるてみすてんぷるの沙羅です。
エドガー・ケイシーのリーディングに
「 キリストを汝の導き手とせよ。キリストをして汝の邸宅を造らしめよ。
汝が、自分自身の貧弱な手で家を造れば、虫と錆に食われ、そこに住む人々は、
知らず知らずのうちに、その稚拙さによって、汝の道を険しくするであろう。
許されたいと思うなら彼らを許せ。恨みを持つな。なぜなら、汝の所有するものは、
汝が妬みや争い、不親切な想い、不親切な行為などによって、
汝自身が捨て去らない限り、汝から奪い取られることはないのだから。
汝が汝の所有するものを捨て去る時、汝は、汝の最も愛するもの --
命を 破壊することになるのである。」(262-60)
というものがあります。
私たちは日々、自分の人生という「家」を建てています。
考え方、言葉、行い、その一つ一つが、壁となり柱となり
やがて一つの住まいを形作っていきます。
しかし、ここで問われるべきことがあります。
その家は、誰に建てさせているのか。
エドガー・ケイシーのリーディングははっきりと語ります。
「キリストを汝の導き手とせよ。キリストをして汝の邸宅を造らしめよ」と。
もし私たちが、自分の智慧や感情だけで家を建てようとするならば、
その家はやがて崩れていきます。
それは、虫と錆に食われる家です。
見た目は調っていても、内側から静かに蝕まれていくのです。
なぜならそこには、恐れや比較、嫉妬、自己防衛といったものが
土台として使われているからです。
そして、その歪んだ土台の上に築かれたものは、周囲との関係にも影響を及ぼします。
知らず知らずのうちに人との関係をぎこちなくし、道を険しくしていくのです。
では、どうすればよいのでしょうか。
ケイシーは、極めてシンプルな道を示します。
「許されたいと思うなら、彼らを許せ。」
これは単なる道徳ではありません。
霊的な法則です。
人を赦さない心は自分自身を縛ります。
恨みや怒りは相手ではなく、まず自分の内側を腐食させていくからです。
妬み、争い、不親切な思いというものを抱き続ける時、私たちは本来持っている
平安や愛、さらには命の豊かさそのものを手放していくことになります。
ここで一度、静かに自分に問いかけてみませんか。
・今、自分はどんな材料で人生を築いているのか
・誰を導き手としているのか
・心の中に手放していない恨みはないか
もし、どこかに濁りを感じるなら難しいことをする必要はありません。
ただ方向を変えることです。
自分で無理に立て直そうとするのではなく、
内なるキリスト意識、愛と赦しと真実の意識に委ねることです。
もう少し言えば、霊の過失ですね。
人生はうまくやることではなく、正しい土台を造ることによって変わります。
どれほど立派に見える家でも、土台が弱ければ崩れます。
逆に、見えなくても土台が真実であればその家は揺らぎません。
今日という一日、あなたはどんな家を建てるでしょうか。
そして、その家を誰に建てさせるでしょうか^^







