怪我が順調に治りますように!
脳震盪とかじゃなきゃいいな。
またまた昔々のこと。
新潮45という月刊誌があった。ちょっとお高めの真面目な雑誌だった。
誰かに、この雑誌は面白いよ。
新潮社の顔とも言われてる雑誌だよ。と勧められて、時々手に取った。
時事も歴史も事件もエッセイもあった。
どれも丁寧な記事だと思った。
が。
だんだんと怪しくなってきた。
編集長でも変わったのかな?と思いながら、借りたり買ったりしていた。
が。
いきなりガラリと変わった。
表紙も何かおどろおどろしいものに。
なんか下世話というか、エロと猟奇の方向にしたようだった。
はじめて編集長は誰?と見ると女性の名前があった。
手に取る頻度がどんどん減り、その存在をやがて忘れた。
読書層の拡大を狙ったのかもだが、私には追いつけないというか好みじゃなかった。
思い返すと、覚えてる記事は、三億円事件の犯人、世田谷一家殺害、
過疎の地域の補助金による暮らしが天国、君よしるや北の過疎天国だったかな?
曽野綾子さんとビートたけしさんの連載エッセイ。
立花隆さんの超能力?もの。池田晶子さんと死刑囚の往復書簡等々。
山奥過疎に移住しての里山での四季の暮らしの連載エッセイ。
新方針に付いていけなかったんだろうな。
そしてこの事件?ガ起きた。
あーこの雑誌まだ存在してたんだというぐらいしか思わなかった。
ノーチェック状態?
有象無象になっちゃったのかなと思った。
うーん、有名で力にある人たちや団体が動くと廃刊とも言えたりして。
民草が騒ぐのはどうなのだろう?
ガス室はあったし。炎上狙いすぎ?部数狙いすぎ?
引用
しかしここ数年、部数低迷に直面し、試行錯誤の過程において編集上の無理が生じ、企画の厳密な吟味や十分な原稿チェックがおろそかになっていたことは否めません。その結果、「あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現」(9月21日の社長声明)を掲載してしまいました。
特別企画「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」のある部分に関しては、それらに鑑みても、あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現が見受けられました。
有名な例では文藝春秋の月刊誌「マルコポーロ」の例である。「マルコポーロ」1995年2月号に掲載された西岡昌紀氏の「「戦後世界史最大のタブー・ナチ『ガス室』はなかった」という記事が、アメリカのユダヤ人団体などから激しい抗議を受け、この号で同誌は廃刊となった。このときは編集長・花田紀凱氏の解任にとどまらず、文藝春秋の田中健五社長が代表職を辞任する事態にまで発展した。 引退終わり。
新潮も文春も、広告タイアップ記事とテナント記事だらけになったのだろうか?
タイトルしか見てないが、デタラメ、虚飾っぷりが激しいーーー。
絡まれ利用されるの見たくないから、あの界隈と共演はやめて欲しい。
それにしても、あの子は何を目指し、どんな花?どんな実りを得たのだろう?
つーか、ホッケージャンプは苦手。
頑張ってね。
さほど考えなくとも、御膳立てして守ってもらえてうらやましい。
メダリストとして、守られた者として、何か継承し、継承すべきものを残せたのかなぁ。
不明。
関係ないが、
今はもうほぼ見なくなったのがJBpressだ。
フィギュアスケートの記事がどんどん薄〜くなった。
他のコンテンツから入ったWeb雑誌?なんだけど、前はフィギュアスケートの記事も読んでた。
ここ数年、フィギュアスケート記事がなんか出汁が薄い吸い物というか、薄い紅茶で淹れたミルクティーというか、
テキトー仕事だなと感じ、わかってない上にノーチェックだなと見る気が失せた。
どの雑誌も、どう生き残りたいのだろう。
本当の事を追って書くと、怖い事がある事は聞いているが、
時にまともなルポルタージュが出版拒否、印刷拒否、販売拒否の憂き目に会う事も聞いたが、
取材も邪魔され、脅かされると聞いた事があるし、
色んな意味で取材に応じない人が多い事も聞いた事がある。
裏の真実を書くのは大変なのだろう。
皆がなんとなく気がついてるけど、ヤバイ事も、ガッツリ書いて欲しいな。
なんて、怖すぎ要求か?
GUCCIの羽生結弦写真展に、何故か家人と行くのだが、私はこの二店が大好きだが、しまむら、パシオス臭しかない老夫婦が行っていいのだろうか?
行くんだけど。行くのよ。なんで行くって言うんだよ。1人で行って、ひっそり何か買おうかななんて思ってたのに!
ス、す、、スカーフとか。
オンラインで香水とかね。
羽生結弦って凄い!
私にハイブランドの店に向かわせ、購入させちゃうんだよー。
GUCCIさんのサイトをじっくり見させて、ファッション雑誌記事まで追わせちゃう。
羽生営業部長って、誰かが呟いてたけど、規模が凄い。
なんとかなる!