株式会社オルフィックデザイン オフィシャル インプロビゼーション -1863ページ目

やまない

今朝もまた雨が降ってる。 台風が抜けた後も快晴とはならずこれは梅雨前線の影響なのか。 昨日のお昼は少しだけ晴れたのでその隙にちょこっと海に行ってみた。 波が高く遊泳禁止だった。 それでも久しぶりの海に子ども達は大喜び。 貴重な休みの時間を楽しんだのであった。 さて、昨日は大地震が発生。 被害が多数発生している新潟は先週から続く出張現場の元請様の地元でもある。 そのためただでさえ遅れ気味の現場が更に遅れる見込みになってしまった。 この現場は指定された材料にクレームがついたのをきっかけに台風、地震と次々とアクシデントが襲い掛かってくる。 どうなることやら心配でたまらない。 でもそれはさておき、新潟にはこの工事でお世話になっているF社様に知ってる方が何人かおられる。 皆昨日の段階では現場に出ていて直接被害に遭われてはいないが家族や親戚と連絡が取れないなど心配な状態が続いているのだ。 すぐに電話でお見舞い申し上げたが、オレは神戸の震災で友人が死にかけたり連絡がつかなかったり随分不安な日々を過ごした経験があるのでニュースの中の出来事ではないのだ。  可能な限り力になれればと思う。 今週は進行中の内装の仕事が終了してサインの部分を施工したり、フィルムの大型物件が始まったり、その他いろいろ予定がいっぱいでオレもいっぱいいっぱいになりそうな予感。 しっかりと頭の中を整理してやるべきことに順番に集中して取り組んでいくつもり。 そろそろ雨、やんでほしいな。

くたくた

昨日の午後見覚えのない電話番号の着信があった。 念のため返信してみると知らない設計事務所の方のよう。 あるガラスフィルムのサンプルを探しているとかでインターネットでフィルム屋さんを探して手当たり次第に電話をかけてるとのこと。 オレはライブハウスでのリハ直前だったのでとりあえずすぐには動けないと言うとどうしても明日(つまり今日)までにサンプルがいると訴えてくるのでオレは快諾した。 たまたそのフィルムを持っていたこともあるし、連休のさなかこうやって仕事してて困り果てているという状況に協力してあげたいと思ったから。 オレは自分の都合を説明して夕方事務所に戻るからその時までに郵送先等をファクスしてくれるよう頼んだ。 で、リハを終えて大急ぎで事務所に戻って土曜日だから宅配便の集荷は終わっているので高速に乗って佐川急便までサンプルを送りに行った。 彼は自分のミスなので会社ではなく自分に請求してくれと言うのでオレは困った時はお互い様だと思い「お金はいいからせっかくだから今度会ってお昼ご飯おごってよ」と言うと彼はホッとしたように同意してくれた。 まだ彼の顔は知らないが今日も彼は仕事しているはずだ。 昨日はその後ライブハウスに戻り3ヶ月ぶりのライブ。 ステージにいる間本当に久しぶりに何もかも忘れて集中していた。 みたい。 終了後見に来てくれたY達と中華街で食事して普段より遅く帰宅した。 子供たちはもう眠っていた。 

しまった

今ずーっと昨日の日記書いてて何かの拍子に何かのキーを押したらしく一気に消去されてしまった。 実は出張現場がうまくいってないことをつらつらと書いていたので、ま、そんなことは書くべきじゃないということか。 な。 赤字にならぬよう考え抜いて実行しよう。 さて昨日は結婚記念日。 オレと妻はいわゆる事実婚。 子供たちは妻の名字を名乗っている。 特に思想的なこともない。 強いて言うなら感情的。 かな。 11年前のこの日結婚、というか生涯を共に過ごすというようなニュアンス。 かなあ。 を決意したという意味での記念日。 その後すぐに互いの両親に報告、2週間後の7月28日に奈良で両親含め6人で会食し、事実婚という運びであった。 紙に結婚に至る動機と結婚に関する決意を手書きでしたため、両親に署名してもらうというスタイル。 当時はまだ人前式という言葉もまだ流通していなかったので異例のことだったと思う。 奈良はオレの故郷なのでそのまま今は亡くなったおじいちゃんに報告に行ったのだが厳格なおじいちゃんが決意の文を一読した後一呼吸おいて「型破りやな」と言って祝福してくれたことを今でもよく覚えている。 このような形態はまだ浸透していなかったこともあり当初は両親に反対され、電話で口論したりもした。 なつかしいなあ。 あの日妻の両親も表情硬かったなー。 そういえばオレ髪長かったし。 当時で言う茶髪っていうか。 それから11年。 妻とは様々協力し合い、補い合って、そこそこ楽しい人生を共有してきたと思っている。 今3人目の子どもがおなかの中。 子どもが生まれてからは妻との関係というより子ども達との関係を妻と一緒に作っているという部分が大きいような気がする。 子どもを育てるというのは社会的貢献。 それに子どもたちを一人前にするのはオレの責任。 妻と2人の仕事。 子どもが自分の意志でオレ達の下を離れて自分自身で生きて行くことができるようになるまではそのことを最優先させよう。 上の子が生まれてしばらくした時思った。 そしてその後また1996年当時に戻って新婚気分で毎日過ごしたいな。 昨日また同じこと考えた。 何歳になってるかわかんないけど。 ね。 ケーキといつもより少し豪華なお刺身買って帰った。