岡山城本丸模型 本段の櫓 | 城郭模型製作工房

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城郭模型作家・島 充のブログです。日本の城郭および古建築の模型やジオラマの製作過程を公開しています。

岡山城本丸模型は本段の建物を進めています。

こちらは造形完了時。

大きさは小さいとはいえ、作り方は150分の1サイズとほぼ同じ工程を踏みます。当然瓦も一本一本貼り付けていますので、時間的にも大スケールのものとあまり変わりません。

塗装したところ。
色彩を統一するために最後に一気に上塗りをしますので、まだ粗彩色です。


建物をひとつずつ詳しく見ていきます。

【御掃除方物置 同所東平多聞】
本段東側の多聞です。
南九間半は屋根が二重、北七間半は一重です。


牙城郭実測図を見てみると
途中で折れがありますが、実際にはほぼまっすぐです。下の石垣が増築されているので、北半分の一重の多聞は恐らく増築ではないでしょうか。

南半分の二階部分は窓の描写がありません。
ここで平面図を見てみると、どこにも階段はありません。
内部は下男部屋となっており、六畳や十二畳といった表示があることから畳敷きの部屋もある、櫓座敷のような居住建物であったことが分かります。
模型では城内側は柱を見せた住宅風としました。

二階はもしかすると梯子で登るような屋根裏式で、窓は城内側に向かって開いていたかもしれません。

シティーミュージアムの模型では、完全な二階建てで二階に窓も開けてあります。

今回は牙城郭実測図の通り二階には窓を開けず、低めの中二階のような建物にしました。

古写真には切妻の屋根がちらりと写っています。
この写真の屋根の高さからも、二重にしては低めの建物であったことがわかります。

この多聞には前回記事にした中に石臼のある舂屋が接続し、さらに下男部屋が隣りあいます。
下男部屋の御殿側は土塀で囲われ、男衆の生活空間を隠しつつ、男衆のプライベートを区切る工夫がされています。

【干飯櫓】
本段南側の石垣上に建つ二重櫓です。
上層は三間に二間半で、通常とは逆に妻側の方が幅広くなっています。
一階平面は二間半に六間と細長く、上重は平側のみが逓減し、ちょうど凸形に重なる櫓です。
城外に向けて石落としに挟まれた幅広い出窓格子を見せ、その上に唐破風を設けます。上重も出窓格子をつくります。二重目のみ下見板張りです。

この古写真がその姿を記録していますが、ほぼ牙城郭実測図に描く姿と同じです。


【三階櫓】
絵図によっては武具方三階櫓と記すものもあります。
干飯櫓の隣、本段の真正面に建ちます。
一重、二重が同大で庇をまわし、大入母屋をかけ、その上に三間四方の上重を重ねる形式です。
三重目正面に出窓格子を持ちます。
牙城郭実測図では三重目のみ下見板張りとなっています。

古写真を見ると、三重目正面は全面塗籠になっており、側面だけ下見板張りのようです。改変があったのかもしれません。
また、牙城郭実測図に描かれる、出窓格子下両脇の小窓は、古写真では確認できません。
出窓格子も牙城郭実測図より一回り以上大きいようです。
今回は御依頼主と相談して、牙城郭実測図の描写でつくりました。

干飯櫓と三階櫓は、どちらも櫓の建つ位置が不自然に感じます。
本段の南側の形状が鈍角の折れ曲がりということもありますが、この二つの櫓の並び方は、バランスも良くありません。

牙城郭実測図の平面を見てみると、石落としが、意味のない側面にまで回り込んで描かれています。
元は別の場所にあった櫓を、ここに移築した可能性もあるのではないでしょうか。

三階櫓から不明門までは、多聞櫓で結ばれています。
この多聞櫓は、石垣に沿って鈍角に折れ曲がり、屋根の一段低い多聞となり、不明門に繋がります。

古写真を見てみると、特徴的なのは窓の格子で、水平の格子が真ん中に一本通っています。
この部分の謎は屋根の一段低い多聞との屋根の接続です。
シティーミュージアムの模型では大変不自然な納め方をしてあり、あまり参考になりませんでした。
各種本段の絵図から、低い多聞は長方形で、そこに横から屋根の高い多聞が鈍角に接続する形のようですのです。

頭をひねって、より自然な納め方をしたつもりです。
この辺りも一度に設計されたにしては不自然で、増改築の可能性を感じさせます。

【不明門】
本段の正門です。本丸内では最大の規模の櫓門です。
(門扉と庇は未製作)
牙城郭実測図では、白木の真壁に描かれます。
門の正面に幅の広い出窓を見せます。南側側面にも出窓格子があります。

古写真を見てみると、白木の真壁ではなく、塗籠の真壁造りのようです。こちらも途中での改変があったのかもしれません。出窓格子も塗籠になっています。

先ほどの三階櫓のように、古写真の表現にするか、牙城郭実測図の表現にするか迷いましたが、塗籠の真壁で真っ先に思い浮かべたのが豊臣大坂城の桜門です。
夏の陣図屏風には、本丸大手の桜門は他の建物が下見板張りであるのと違い、塗籠の真壁として描かれています。
出窓格子のようすもそっくりです。豊臣大坂城の本丸大手の桜門のイメージと重ねて、模型では古写真と同じ表現を取ってみました。
ちなみに、牙城郭実測図では、平面は三間に九間となっていますが、他の図面は全て九間に四間となっており、古写真も妻側は四間であることが確認できますので、その規模で模型化しました。牙城郭実測図の不明門は石垣にかかる部分の寸法も現実の石垣と異なっており、現状石垣や各種絵図を参考にしています。

引き続き、中の段の櫓の製作に進みます。
櫓の箱組みがだいぶ揃ってきました。