模型の御依頼主がさっそく現在の映画館跡地の写真を送って下さいました。
やはりSY松竹文化にあった岡山城の絵は今や幻か…
建物と一緒に取り壊しか…どこかに保存されていれば…
引き続き情報お持ちの方おられましたらお知らせください。
情報提供先
info@joukakumokei.com
ツイッターとブログで呼びかけたところ、他にも色々岡山城の資料に関する情報をたくさんの方から頂きました。
全国遺跡報告総覧のサイトで岡山城の発掘調査の報告書が閲覧できますよ、そこにツキ屋櫓の鮮明な写真がありますよ、とか。
大納戸櫓も
他にも絵では池田遙邨の「烏城」の画像を送ってくださった方もありました。
時期的に櫓などは存在していませんが、北東から眺めた天守が上段に大きく描かれます。「烏城」でありながら白壁を強調して月光の冴え冴えとした光を表現しています。天守の下に描かれる櫓や門、塀の様子は本丸下の段東側の中水手御門と弓櫓周辺の光景にそっくりです。橋は明治36年に創架の相生橋かと想像します。
現実にはあり得ない光景ですが中水手御門周辺は牙城郭実測図とも雰囲気がよく重なっていて、元になったスケッチなどがあったのかもしれません。
現実にはあり得ない光景ですが中水手御門周辺は牙城郭実測図とも雰囲気がよく重なっていて、元になったスケッチなどがあったのかもしれません。
他にも旗櫓の絵は岡本 常彦写生で木畑貞清旧蔵ですよ、とか、岡本常彦は他に岡山城の錦絵も手掛けています、など。
そして映画館の絵のことをコメント欄から教えて下さったかんさんのおっしゃっていた宍粟櫓が写っているように見える人力車の写真がこれです。
おそらくこんな感じ。
宍粟櫓…しばし硬直しましたが、よくよく見ると
確かに大入母屋に直交する上重をのせた櫓に見えます。一度櫓に見えたら櫓にしか見えない。心霊写真のようです(笑)
この写真が収録されている本はこちら。
鮮明な古写真が一枚あるだけで得られる情報の量は格段に増えます。
それにしても、情報というのは一人の力で集められるものはほんのわずかだと痛感します。皆さんのおかげで量的にも速度的にも模型づくりの参考になる情報がたくさん集まったことを心より御礼申し上げます。
今週は花粉症から喘息が出てしまい、体を休めながら資料集めと考証、構想をメインにしました。エッチングパーツの設計も石屋模型店さんのところで順調に進めてもらっています。
そろそろエッチングパーツ無しでも作れる蔵やらなんやら作り始めます。