岡山城古写真新発見??その3もう一つの旗櫓写真 | 城郭模型製作工房

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城郭模型作家・島 充のブログです。日本の城郭および古建築の模型やジオラマの製作過程を公開しています。

前々回から、岡山城の古写真にある旗櫓と宍粟櫓とされている建物が全く別の、二ノ丸の櫓である可能性について検証してきました。

旗櫓とされる建物が写った写真はもう一枚あり、それがこれです。
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前回の写真に比べると、本段がとても近く見え、旗櫓であろうという推測がされるのは最もです。

しかし、石垣の下部は伊木長門屋敷内櫓と同じように土居になっているように見えますし、破風の構成、窓の数、位置、土塀が櫓の左隅前面から伸びているように見えるなど、この前ご紹介した写真の櫓と酷似しています。

私もこれが旗櫓ではないと自信を持って断定できませんでした。何しろ、本段がこんなに近くに見えるのです。

そこで、基本に立ち返り、牙城郭櫓実測図を改めて見てみます。
そこに描かれる旗櫓です。
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望楼の南面の窓は、下見板の上に真ん中に一つ開いていることがわかります。

そこで、次の写真を見てください。
前回までの考察で、今まで旗櫓とされていた建物は二ノ丸の伊木長門屋敷内櫓であるとしてきたのですが、この奥に旗櫓の入母屋が見えています。
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拡大してみます。
すると、牙城郭櫓実測図と同じく、望楼の南面の窓は下見板の上に真ん中に一つ開いているのが写っています。(窓の左半分は土戸が閉まっているように見える)
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ということは、旗櫓は牙城郭櫓実測図の描写の通りの姿だったと推定できます。

そこでもう一度最初の写真を見てみますと、これは明らかに旗櫓ではなく、二ノ丸の伊木長門屋敷内櫓であるということがわかるかと思います。
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ではなぜこのように本段が近く見えるかというと、恐らく、遠望写真を切り取ったもので遠近感が崩れていること。また明治期の古写真を見ると、今より空気が綺麗ではるか遠くまで鮮明に写っているものをよく目にします。これらの理由により、本段が近く感じられるのではないでしょうか。

今までこの櫓は、旗櫓であると信じられてきたために、牙城郭実測図にない唐破風が正面にあることについて、江戸期の改築かなどと言われてきました。
根本的な研究のやり直しが必要でしょう。
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また、二ノ丸にも三重櫓が林立するというのは、もしかすると岡山城二ノ丸のイメージを大きく塗り替えることになるかもしれません。